眼鏡は顔の一部じゃない

私は眼鏡をかけた人が好きだ。
推しはたいてい眼鏡をかけているし、自分自身両目ともに視力は良好だがおしゃれ用の眼鏡を複数所持しており、それらを気分によって選んでかけている。
中学の時には同じクラスの眼鏡をかけた女の子を心の中で勝手に推しており、その子が夏休み明け急にコンタクトに変えてきて「思い切ってコンタクトつけてみることにしたの!どうかな?」と聞かれ内心ショックで動揺しながらもその子の決断にケチをつけてはならない、勇気をもってコンタクトをつけはじめた彼女を応援しなくては、と「似合ってる!」と顔で笑って心で泣きながら返答したことをいまだに忘れられない程度には眼鏡が好きだ。

 しかし他人に眼鏡好きを主張することはあんまりない。なぜなら眼鏡キャラは時として私の地雷になりうる、センシティブな存在だからだ。
そんな私の悩ましい愛の形を文章にしてまとめてみようと思う。


 

地雷を最初に認識したときのことはよく覚えている。
知人に勧められサービス開始間もないソシャゲをインストールし、当然のごとく眼鏡をかけたキャラを推し始めた。
サービスが始まってしばらくしてもなかなか推しがメインになるイベントがなく(ガチャはあったけど)もやもやしていたが、ほかのキャラも十分に魅力的だったので特に不満なくゲームを楽しんでいた。
それからしばらく時が経ち、とうとう待ちに待っていた推しのメインイベントが開催されることが告知された。
大喜びではしゃぎまわり、わっくわくでイベント開始日を迎え、学校の帰り道にすぐさまキャラクターのイベント限定カードのイラストを確認した私は愕然とした。

 

開花後の推しは眼鏡を外していた。

 

この時までに実装されていた推しのカードはすべて眼鏡ありver.であり、初の眼鏡なしver.にネットでは「かっこいい!」「念願の眼鏡なしイラスト!!」といった声が多数見られた。
でも私はどうしても推しが念願の晴れ舞台に眼鏡をかけていないという事実が受け止めきれなかった。
なぜせっかくの初メインイベントなのに一番のチャームポイントを崩すのか?そういうアレンジはもっとイベントの回数を重ねてからするべきなのでは?安易なギャップ萌えに走っているだけなのでは?
このような不満を感じる一方で、素直に推しイベを喜ぶことができない自分が悪いのではないかという気持ちも芽生え、まっすぐに推しを応援できない苦しみに耐えかねた結果、とうとうそのソシャゲを引退してしまった。

 

この話だけすると私が眼鏡をかけた人物あるいはイラストしか愛せない過激派眼鏡スト(眼鏡ストが何かわからない人はググってください)であると誤解される方もいるかもしれないが、もともと私は仮面ラ◯ダーで新フォームが出てきた次のCMで関連アイテムが紹介されていると(敵に勝つために新フォームになったんじゃなくて商品を売りたいから変身してるんじゃないの?)とか思っちゃうめんどくさい人間である。
だからギャップ萌えという需要を産み出すためだけに眼鏡キャラを作った、みたいな資本主義的バックグラウンドを勝手に想像してしまい心が辛くなった訳である。

あるときは眼鏡をかけたいかにもインテリっぽいキャラに興味をもった。
見た目が良かったので詳細ををググってみたところ、どうやら理性的で徹底的に合理主義な人物らしい。
ここまで調べて私は思った。
本当に合理的で効率重視な生き方を追求しているのなら、ずれたり曇ったり壊れたりするリスクがある眼鏡よりも、利便性の高いコンタクトを愛用するんじゃないのか?
どれだけ考えても合理主義者があえて眼鏡をかけ続けている理由がわからなかったし、作中で特別理由が語られているわけでもなかったので、モヤモヤしてしまいあまりこのキャラを推すことができなかった。

 

根暗は前髪が長い、パリピは派手髪、ヲタクはチェックシャツetc.…こういった外見的特徴と内面的特徴が結び付く例はリアルでもフィクションでも往々にして見られる。
もちろん眼鏡もその一例に含まれるとは思うのだが、私からすれば大半の眼鏡キャラは作り込みが甘いように思えてしまう。
そうなると前述のキャラ開発者の陰謀論がまたも脳内を蝕み、眼鏡キャラを遠ざけてしまうことになるのだ。

 

 主に上記の理由から、私は見た目がドンピシャに好みなキャラであっても素直に推すことができないし、何なら苦手になってしまうことがある。

私はなんてめんどくさい人間なんだ……オタクとして生きるには地雷が多すぎる……ただ眼鏡が好きというだけなのにどうしてこんなにも苦しまなきゃいけないんだ…………。

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