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宣誓1:人には人の痛みがある

世の中に満ちた偏見や差別。それによって生じる様々な問題、不要な傷を背負わざるを得なくなってしまった多くの人。いつかこうした不条理がなくなるときを信じて、私たち2人はこの企画、私たちの宣誓プロジェクトを始めた。国際女性デーとは関係なく、それぞれが負った痛みについて夜通し話したことも、そうして話した後に真摯に向き合ってくれたパートナーの優しさに涙したこともあった。今回は、日々2人で向き合い考えてきたことを
「人には人の痛みがある」
というメッセージと共に伝えたい。
これは、私たち自身が差別をしないことや自覚できる限りの偏見を取り除くことは大前提に、お世話になる全ての方々と向き合う際に大切にしている考え方だ。

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2人の自己紹介

メッセージに加え、デザインをメインで担当しました射落美生乃です。事業からクリエイティブまでを一貫して伴走するタイプのパーパスブランディングを行っています。
メッセージとこのnoteをメインで担当しました目黒雄大です。世の中にある当たり前によって苦しむ人の一助となるを志に掲げ、ユニマガという大学サッカー雑誌の編集長をしたりしています。
2人の詳細はtwitterを見ていただければと思います。

このnoteでは、企画意図を含めて今回の表現に至るまでの経緯をお話しできればと思う。

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コンセプトが決まるまで

3月8日に向けて、先ずは日頃覚えた違和感や葛藤を書き出してみることにした。その一部が上記だ。それぞれがあげたことについて話していると、2つの問題意識が浮き彫りになった。「偏見や差別そのもの」と「偏見や差別に苦しむ者と向き合う際の考え方」についてだ。
前者は文字通り、偏見や差別という問題だ。つい先日も、森喜朗東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員長(当時)の女性蔑視発言が問題となった。こうしたことは日本中、世界中で今尚起きている。それによって苦しむ人がたくさんいる。みんなそれぞれだというたったそれだけの当たり前の考えなのにと思う気持ちは山々だが、残念なことにそう祈るだけでは何も変わらない。そうした中で、twitterでは森さんの辞任を求める声が多くあがった。結果、辞任することになった理由がそうした声によるものだったかは知る由もないが、これまで蔑ろにされつつあった市民の声がこの世の中を少しは良い方向へと向かわせる一つになるのではないかという一筋の希望に思えた。ただ、だからといって根深い偏見や差別が解決した訳ではない。決して一喜一憂してはいけない。

上述のように前者・後者に分け、前者についての言及を終えたところで、後者への導入がとても難しいことに気がついた。伝えたいことは確かにあるのに、それをどう表現して良いかあまり分からない。語彙が乏しいから、まだ見ぬ世界を知りそこで得る何かを求めて勉強はするものだと改めて感じさせられる。
ということを長々と書いても仕方がないので後者の話に移る。少しは繋ぎになったのではないか、

後者は、偏見や差別に苦しむ者と向き合う際の考え方についての問題意識だ。今回は差別や偏見についての話であるために主語を限定したが、本来全ての人と向き合う際に持ちたい考え方である。問題意識を持った考え方(相談された側が伝えること)の例えとして、「もっと大変な人もいるよ」や「そんな落ち込まないで元気だしなよ」といったことがあげられる。これらは掲出したポスターに書いた内容でもある。もっと大変な人はいるかもしれない。でも、それを判断するのは当事者本人であって、それ以外の何者もそれらを比較してはいけない。正確には、してはいけないのではなくそもそも比較などできないのだ。もちろん、伝える側に悪意などなくむしろ善意が根幹となっているであろうことは容易に想像がつく。それ自体はとてもありがたいことだ。
色々書いたが、これらは解決に向けた動きが以前より活発になってきたからこそ生じる問題とも言える(偏見や差別について、まだ何も解決していないことやそれによって苦しむ人がたくさんいることは大前提として)。今朝の朝日新聞の広告「未来は勝手に進まない。進めてきた人たちがいる。」にもある通り、これまで偉大な先人が築いてくださった一つ一つの積み上げが故のことだ。以前は、偏見や差別が世のため人のためといった具合に処理されることもあったぐらいで、痛み苦しみとしてすら受け入れられなかったこともある。

こうした吟味を繰り返した結果、後者の問題意識をメッセージとして伝えることになった。私たち自身が、相談させてもらった方に言われた経験があったこと、そしてそうした問題についての言及が今日多くはないと感じたのが理由ということになるだろうか。2つの問題意識があってそこから1つを選んだということでもなく、話の流れでそのように決まったことなのだが、いずれにせよ以前から感じていたことを改めて考えるきっかけとなった。


内容をどう表現するかについて

メッセージの内容が決まったところで、それをどう表現するかの話に移る。
内容そのものについてはもちろん、伝える際のスタンスとして企画当初から大切にしたいと話していたことを軸に進めた。

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上記は、大切にしたいこととしてブレストした一部だ。ここでは、制作にあたって特に意識した3点について言及していく。

1つ目は、「記事に過程とかを〜」という部分について。掲出したポスターとは別に、こうしてnoteを書いている理由だ。最近は特にtwitterを中心に、掲出されたポスターについての批評を目にする機会が多くなった。その中で時に、制作意図を知らないであろう方が憶測でモノを言うツイートを目にすることがある。私たちはいわゆる広告業界にいる訳でも詳しい訳でもないためこれこそが憶測なのだが(偉そうにすいません)、掲出された広告の意図が正確に伝わっていないであろう状況を勿体ないと感じることが多々あった。勿体ないと言うことは誰でもできるから、まずは自分たちでやってみようということでこうして企画意図やその過程を書いている。

2つ目は、対立構造にしないこと。何か主張をする際に、他者否定を入れてから自分を高めようとする行為がある。当然のことだが、明らかに倫理観の欠如した何かを非難することはその限りではない。それは自分を高めようとする行為ではないからだ。自分を高めようとする行為の例えとして、好きな食べ物を聞かれた時に「シチューにはブロッコリーが入っているじゃん。でもカレーには入ってなくて。それに美味しいし。だからカレーが好き」と言うことがあげられる。よく見かける本や記事にあるこの手の例えは、確かに!とすんなり入ってくるのだが、この例えはどれほど伝わっているか不安になる。好きな食べ物がカレーなら、カレーが好きだとだけ言えば良いものを、わざわざシチューが嫌いという否定の予備情報を出す意図はどこかにあるだろうか。これを書いている私はシチューが大好きなので、自分で書きながら悲しくなった。危うくカレーのことを嫌いになりかけたが、それでは本末転倒だということにすぐ気がついた。対立構造になると、こんなことが起きかねないのである。

3つ目は、主語を2人にすること。上記メモにも記載があるが、私たちは偏見や差別といったことについてまだまだ考え途中である。途中と言えば終わりがありそうだが、どうやら何事も考えるに終わりなどなさそうだと感じている。いわば考え途中の未熟な状態であることを、改めて私たち自身に言い聞かせる機会にしようと考えた。お気づきの方がいるかもしれないが、掲出したポスターの左上に「宣誓」と書いたのも、文末に「誓う」と表したのも、考えたメッセージを皆さんにお伝えすることはもちろん、私たち自身に向けたメッセージでもあったからだ。自分ではできていると思っていても、できたつもりになっているだけで実際にはできていないことは珍しくない。このことを肝に銘じて今後を過ごしたい。

ここまで3点について言及した。他にも意識したことや無意識の内に組み込まれたであろうことがありつつ、コピーは決まっていった。

人には人の痛みがある

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デザインについて

宣誓文の形式の書面にミモザの花を添えてあるというデザインに仕上がった。
上述の通り、自分たち主語でメッセージを伝えたいという意図から宣誓文の形式を取っている。ミモザの花は、イタリアでは身近な女性に感謝を伝える花として用いられ、国際女性デーのシンボルとして使われることも多い。3月8日の国際女性デーに、今回のメッセージを伝えたいと思ったことからミモザの花を添えることにした。
そして、左上書いてある宣誓1の文字。これは、今後もこのようなメッセージないしは宣誓を発信し続けたいという決意表明でもある。どの問題においても、考え発信し続けることを大切にしたいと思っているからこそ「宣誓2」へ続くように「1」を刻んだ。
余談ではあるが、ロゴのような位置やハンコに使われている恐竜とカエルのイラストは、2人の好きなマスコットをイラストにして登場させたくなってしまっただけである。意味は本当に全くなくてかわいいなと思ってもらえたら嬉しい。どうか対立構造だけはつくらないでいただきたい。

最後に

今回のメッセージによって誰か何かが救われたらと思いつつ、人の痛みはそんな簡単に癒えるものでないとも思う。その中で、皆さん自身が何か1つでも見出すことがあったら本望である。

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