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ファッションとしての絶望

IQが高い成功者が「人類に絶望した」というとき、それは様になる。

「ああ、人類は愚かだもんね」という絶望を我々は共有し、互いに我々同士を呪うことを楽しむ。

人が様になるポーズをとるとき、それは「そうあるのが心地よいからそうしている」という類ではないかと私は思う。

自分という存在を公の場で肯定する語り口として「絶望」が選択されたはずなのだ。

「民主主義は我々の不断の努力で維持改善されなければならない。我々は愚かな面もあるかもしれないが、諦めてはいけない。」

これが世界市民としてのマナーに適ったポーズである。

それをたぶん言えるであろう成功者が、それをせずに絶望して見せるのだ。

その心理的なパターンが私の好奇心をそそる。


ツイッターのプロフィールにあなたが何を書くと様になるか。

何を書くと「臭い」のか。

この美意識に隠れた世相と、人間の流されやすさと、時代の追い風を掴むノリと、そういったものを模索している。

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