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社会的合意と下衆な本音と優しい世界

ラーメン屋に飲食コンサルタントが券売機を導入したいとき、さまざまなことに気を使わなければならない。

顧客の使い勝手は当然ながら、いま働いている従業員の「快適な今の仕事を1ミリたりとも変えたくない」という本音、そしてそれをオブラートに包んだ「みんなで話し合ったんだけど、お客さんの顔を見て直接お金をいただく先代のやり方がいいって思うんだよ」という建前、あらゆるものを折衝して合意に至る必要がある。

だいたいこういうケースでは現場の意見が勝って何も変わらないか、経営者の一存ですべてが変わり、人も入れ替わるかだろう。

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このような状況の相似形は日本中どこでも見て取れる。デジタルトランスフォーメーションの現場だったり、民主主義の改善だったり、ありとあらゆるところに、だ。


個別の事案を見ていくと気が滅入るので、構造だけ取り出そう。

まず登場人物は「提案者」「決裁者」「使い手」だ。

提案者はなんらかの製品の導入を決裁者に提案し、使い手がそれを使用する。

製品は「おもちゃ」「専門的な道具」「普遍的な道具」にカテゴライズできる。

おもちゃは「提案者としては問題解決できるコンセプトは打ち出せていると思っているが、価格や客観的な問題解決の実際として決裁者と使い手が使用に合意しないもの」である。コンセプトが打ち出せているだけ偉大ではあるのだが、やはり製品は使われてなんぼである。(「アイデアに価値はない」と吹聴される所以だとも思う)

専門的な道具は「決裁者および使用者が十分な学習のもと使用に合意できる製品」である。しかし、現場の全員が専門家であることは稀であり、このような専門的な道具が使われる場面は、建築現場や医療現場など命に関わるような現場であることが多いように思える。(「誰でも使えるようにするメリット」よりも「専門家だけで道具を使用するメリット」のほうが大きい)

普遍的な道具は「どのような人でも事前学習なしに使えるもの」である。多くのデジタルトランスフォーメーションや投票システムなど、使用者が「普通の人」である場合は大体がこの水準が必要である。(「誰でも使えるようにするメリット」のほうが「専門家だけで道具を使用するメリット」よりも大きいが、 これは誰でも使用できるようにするまでがしんどい)


このような前提条件のもと、提案者は製品の使用に関するコンセンサスを取り付けることが目的である。



さて、表題にある「下衆な本音」であるが、これは河合単, 久部緑郎「ラーメン発見伝」の一コマに影響されている。

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