慰めの言葉
二日続いた嵐も静まり、昨夕は新月から初めての月を見る。
今夜は上弦になるはずだ。
二行書いたらはたと手が動かない。
明日の下書きに残そうかと思った。
だが今ここを書く者としては、明日では意味をなさない。
月の写真が撮れたので旬のうちに書かねば。
「嵐の後には凪がくる」というが、「明けない夜はない」と同じくあたりまえの状況なので、あえてことわざにしなくてもいいように思う。
古来、悩める人があまたいて、慰めの言葉が必要だったのだろうか。
他にも似たようなことわざがある。
「待てば海路の日和あり」
「石の上にも三年」
「果報は寝て待て」
私はせっかちなので、耐えて待つのは苦手だ。
自然現象なら待つしかないが、大抵は突破口を探す。
それでもダメならきっぱり諦める。
困るのは相談を受けた時。
私ならこうするとは言ってみるものの、相手にとっては助言にならない。
ただ話を聞いてもらいたいだけ、慰めてもらいたいだけなのだ。
そんな時には「嵐の後は静かな朝が来るものよ」はうってつけの言葉になる。
先人の知恵は侮れない。
古くさいと思っても、時にはピッタリくる表現だったりする。
役に立たないものはないという。
言葉や物には魂が宿るらしい。
先日から服の断捨離をやっているがなかなか捨てられないでいる。
「もう着る日は来ないよ」と待ち続けている服に、待たせている服に言わねばならない。
ああ、今朝もまた書いてしまった。
以前の、自分なりに完璧を目指そうとしていたnoteは、愉しさの中に苦痛が混じっていた。
肩の荷をおろすと、こうも気楽になるものか。
今日は防寒具を着ないとカブで走るのは寒いだろうな。
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