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7月例会議事録です。

東町小地区防災協議会 7月例会議事録
R6.7.18
 
 
場 所:東町小学校 2階ABC室
時 間:18:00~19:00
出席者:21名            
 
本来ですと会議を録音したレコーダーから内容を書き起こすのですが、今回はお話をするため作成した原稿をここに転載させて頂きます。
 
〖初めに〗
6月の総会で7月の例会は「シン・防災協議会」として、これからの防災協議会の在り方を話し合いたいです。と申し上げました。
当時、総会・懇親会の準備(飲食の発注、出欠の集計、会計処理、領収書の発行、食器の購入等々)でかなりくたびれていました。また十日後には防災教室が予定されており、その準備もありました。
そんな中で次回の例会のテーマを発表しました。
 なぜそのようなテーマを選んだのか、その時には鮮明な理由が分からなかったのです。
その後自身の中で、何で今後の活動を考えるのだ?と言う疑問が長時間にわたり頭の中を駆け巡っていました。数日間考えた時、ふと「そうか!」と言う事が浮かび上がってきました。
 
それは昨年末に作成し、2024年初頭に配布したチラシについて、防災課とのやり取りだったのです。
 
協働推進課から「チラシが出来たら見せてね」と言われておりましたので、昨年末の完成時にメールで送りました。多分それを見た防災課から、クレームが入りました。
 
この時から協働推進課の雑賀氏(当時)が間に入ってくれ、防災課との間接的な話し合いが行われていきます。
 
それは、チラシに有る「東町小学校に避難できる人数は400人」と書いてあることに対してでした。「東町小の避難者総数は874人である。書き換えてくれ」との申し入れでした。こちらからは「印刷は終わっている。無理だ」と返事しました。すると「何が何でも400人は困る。差し替えてくれ」との事。
それに対し「印刷代を持ってくれるなら差し替える」
「いくらだ」
「14万7千円」
「明日まで待ってくれ」
 
と言う応対があり、次の日まで待ちました。
 
次の日に夕方まで待ちましたが連絡が無いのでこちらから電話したところ
「もう一日待ってくれ」とのことなので承知しました。
次の日も夕方まで待ちましたが連絡が無いのでこちらから連絡しました。
防災課から「SNSで訂正してくれればそれでよい」また水が無いと書いてあるが「水は500ミリリットル瓶が2000本置いてある」とのことでした。その際「金は区から出ているのだろう」との話もありました。私は「それではお金は防災課の方が汗水流して稼いだ金なのですか?」とお返事しました。
それでも金の出どころの話をなさるので、話を変え、日本には憲法2条に「言論の自由、出版の自由が認められている」またその2項には「検閲の禁止」とある。と思わず言い返しました。
その時はそれで終わり、新年初頭に無事チラシは共同住宅6700戸に配布されました。またSNS上で区の言い分も追記しました。
 
後に区の言う避難者収容人数874人の根拠を入手できました。それによると
1人当たり1.6平米の専有面積で部屋の平面図から導き出したものと思われる物が有りました。例えば体育館を碁盤の目の様に区切った状態です。通路の確保もありません。
 
この数字は現実を無視した数字で全くひどいものです。推測ですが阪神淡路大震災の後避難所を開設しようとなって、時の防災課が参考資料として導いた数字ではないかと思います。その数字だけを大事に使用しているのではないかと?
 
あとから配備される予定の段ボール仕切り版は2平米で区の推奨では各段ボールの前後左右に1mの空間を設けることが推奨されています。
 
また備蓄されている水は
0.5リットル×2000本で1000リットル。一人一日3リットルを使用すると
333人分しかありません。
874人の数字はどこに行ってしまったのでしょう。反映されていません。
怒りが来るよりあきれてしまって、なんだ、これ?と。
 
私は20年、一生懸命やってきましたよ。そうしたら区の防災課の対応がそんなものなのね。これが根底にあったの。なーんだ馬鹿野郎って。
其れに6月の行事が色々重なって、パンクしたわけです。
こんなことで防災課に対する信頼を無くしてしまいました。
 
このまま、いままで通り、区に対しても毅然とした態度で我々現場の声を反映するような活動を続けていく。頑張っていくのか?
 
 
それとも、他の防止協議会と同じくらいの活動とする。年に一、二回協議会の連絡会があります。そこで6ヶ所の協議会から報告がありますが、毎月活動をしてます、とかバーナー着火訓練をしてとか、そんな所はほとんどありません。これからも我々だけ一生懸命続けていく?と言うご相談を一年かけて話し合っていきたいと考えています。
 
今日の話し合いで決めるつもりはありません。来月は8月で夏休み、防災協議会も活動はお休みです。
 
毎月これだけの方々にお集まりいただき活動を続けてきましたが、私も年を取ってきた。お若い方の参加は少ない。ここからは町会の話です。
 
学区域の6町会がこの会を支えています。どこの町会も、いなくなる人はいるが入って来る人はいないというのが現状ではないでしょうか?3年先、5年先には避難所運営など出来なくなる。PTA会長の佐久間さんがいらしてくれています。PTAとしても協力したいとのお話もチョットありました。そのように新しい協力者を探すとか。
本当はこの辺の話は東町小地区防災協議会で考えることではないのではないかと。
それこそ「防災課」で考えるべき事柄なのではないかと。このチラシを作るのも私の仕事では無かったよねと感じます。まぁ作ったから分かったことだけど、本当に3年先どうするの?と言う話です。3年先に私は78歳です。生きているかどうかも分からない年齢になっています。行政も一緒に考えていけないものだろうかと思っています。今やらなければならないことは少し先の将来に向けて我々はどうするか?ご検討いただきたい。このまま続けるのであれば事務処理などの分散をして頂かないと私もくたびれてきていますと言う事です。今年いっぱい中くらいに今後の方針を決めていきたいと思います。
 
私の作成したチラシの数字はかなり肌感覚で書きました。その中で地域の住人数が問題で、町会の境目に沿った人数が港区のホームページを探しても出てきません。仕方ないので新住居表示法による人数は発表されていましたので、それに基づき町会単位の人数を積み上げました。これは何とかなりませんか?と言うのは先日「学校運営協議会」で橋本校長より「9月には来年の新入生に対し、学校説明会の案内が発送される」とのお話がありました。協働推進課から教育委員会に対し町会単位の人数の把握が出来ないか聞いてみて頂けませんか?(大塚)
 
私は選挙の立会人をしていますが、この地区の選挙権がある人が5月の区長選挙では
9900人位だったのが、都知事選では10000人を突破しました。それに、お子さん、又住んではいても住民票を移していない人もいると思います。そうするとこの13000人と言うのは妥当だと思います。(小峰)
 
もしこの数字が正しいとすると、避難所に収容できる人数が400だろうが800であろうが関係ない話で、13000人分の数百人と言う事で、避難所運営がどうのこうのという前に考えなければいけない問題です。最近あちこちで「在宅避難」を言うようになりましたが。水をくださいとか、食料下さいとか言ってくる人っていると思うのですよね。
何年か前ですが、区民祭りの会場で防災士会さんが「地震が発生しました。あなたはどこにいますか?」と言うアンケートを取ってくれました。約半数が「避難所」と答えていました。その感覚は生きていると思います。13000人の半分、6000人が逃げて来たら
にっちもさっちもいかないですよ。(大塚)
 
避難所と言う名前がいけない、名前を変えるべきです。(加生)
 
一度情報拠点と変えたことがありましたが浸透しませんでしたね。(大塚)
 
なぜ町内会を軽視するんだろうね。いまでも区からは色々なチラシなどが送られて来ます。掲示するのか回覧するのか、良く分かりませんが。
 
余談ですが、なぜ町内会の表示が無くなったかご存知ですか?
ネットが無い時代、昭和40年代にダイレクトメールと言うのが大流行しまして、時の郵政省が配達人を急きょ大量に雇い、素人でも配達可能にするための郵政省の発案で新住居表示法と言うのが制定されました。その時から町内会の絆とか文化が無くなってしまったのです。その割には区はいまだに町会に頼って来る。頼られても、もう無いよと。
実際に新一町会は休会。新二町会はツイン一の橋が出来たので休会。その代わりツイン一の橋自治会がここに参加して頂いています。ただツイン一の橋も大規模開発のさなかですから今後どうなるかは分かりません。また、白金・ザ・スカイが出来た為、古川町会は廃止してしまいました。じわじわと進んでいます。私が住んでいる竹谷町でも一軒家が無くなるとワンルームマンションが出来る。町会には入らない。一番大きな問題です。
本日は私一人長々とお話させて頂きました。申し訳ありませんでした。
この状況をご理解の上、区や区民とゆっくり話し合い、何か進む方向が見つかると良いなと思っています。区に持ち帰ってご検討いただければ幸いです。(大塚)
 
〇前の河本課長と話したことがあるのですが、年度末に提出する会計報告ですが、独自の分類(科目)があり、通常の日付順ではない分類を別途する必要があります。科目として講師を呼んだ勉強会、施設の見学、広報費、またその実施日などを記入する欄があります。この分類は何か次の施策に反映されているのでしょうか?ただ惰性で使い続けているのであれば廃止して頂けるとありがたいです。河本課長さんの話では「これは協働推進課で決められるのですぐやりましょう」とのお答えを頂いたのですが。(大塚)
 
これは防災課で決めた仕様なので協働推進課では変更できません。(浅野)
 
〇網代公園にマンホールトイレと井戸を設置する話が進んでいるそうです。
阿部浩子区議会議員、佐野網代町会長からメールをいただきましたので下記の様なたたき台を作成し送付しておきました。(大塚)
 
 
網代公園にマンホールトイレ及び井戸を設置する要望
 
東町小地区防災協議会
会長 大塚明
 
〇要望の趣旨
 東町小の学区域にマンホールトイレと井戸を設置し、災害時に活用し
 住民の安全、安心に資する施設の設置を要望します。
 
〇現在の問題点
 東町小学校の学区域には13000人の方が生活していると思われます。
 この数字はかなりあいまいな数字で港区ホームページには新住居表示法に従った住民数の情報は確認できますが、学区域を構成する各町内会の人数は判明しません。
 新住居表示法の住民数と照らし合わせ、学区域内の住民数を13000人と仮定して話を進めます。
 
学区域内のマンホールトイレは東町小学校に5基、南麻布いきいきプラザに3基(ただし流すための水源は不明)、合計8基のみです。
公衆トイレは、二の橋交差点、網代公園にあるのみです。水道が出ていればここは使用できます。
 しかし水道、電気などのインフラが破壊された想定で13000人に対応するには全く足りない状況です。
 
 幸いにも当協議会にお住まいの方は9割が共同住宅にお住まいです。家屋の倒壊、火事の延焼による大規模火災は起こりにくいと考えられます。先日港区から配布された「災害用携帯トイレ」は大いに役立つでしょう。(数量は全く足りませんが)
 
 吉村昭氏の小説「関東大震災」によれば、火災から避難した多数の人が、上野公園、皇居前広場、日比谷公園など順次避難してきて、トイレが全く足りなかった状況が細かく描かれています。それによるとトイレの足りない分は明かりが無いのを良いことに夜間、外で用を足し、どの地域も汚物で満たされた状況が書かれています。
 
 
 少しでもそのような状況にならないために、あらかじめ準備できるものは用意しておいた方が賢明な策と思われます。
 
網代公園はその地下に善福寺、柳の井戸を経由し旧網代橋近くに地下水源が有ったらしいです。元麻布ヒルズの再開発で柳の井戸の水流は悲しいほど少なくなっていますが。
 
東町小学校で上総掘りの手法で掘った井戸は7メートル掘った所で、川砂の層にぶつかり、人力ではそれ以上掘ることはかないませんでした。その下の深い層には飲料にもなる水源が有るのではないかと考えられていました。
現在の技術を使えば容易に深度の深い井戸を掘ることは可能かと思います。
 
笄小学校の隣の公園にも災害用の井戸が掘られています。
是非前向きにご検討いただき、網代公園に災害用井戸ならびにマンホールトイレの設置をお願い致します。
 
〖参考資料:麻布の水系〗
https://jhico.org/map/?c=35.6535673,139.73721027,18&l=meiji2&l_c=1&l_r=100
 
 
 
〇防災士会から
防災課にリクエストしました。個々の避難所が開設される事態になりました。避難所を開設する宣言を発するは、その時にここを担当する命を受けた区の職員が避難所の長になる。我々はその人の下に入りこまごまと動く事を役所は想定している。では誰が来るのですか?と聞いたところ、それは言えません。で、そんなことを言わずに、避難所のトップになる人と手足になって動く人が一年に一回か二回顔合わせしても良いのでは?と言うのを申し上げておきました。それでどこの誰かを教えてくださいと言いましたら、それは個人情報なので言えませんと。そんな言い訳をしないでください。と
防災協議会は気合を入れて家を無くした、厳しい状況の区民の方を面倒見ようと準備しています。顔を見たことが無い、我々のヘッドになる人が突然来て、なんかやられても困ります。だから我々毎月定例会をやっています。年に二回くらいここに一緒に座ってあーでもない、こーでもない、どこに何の備品が有るかを分かっておいて欲しいし、マンホールトイレを本当に分かっているの?とかと言う話を直接したいのです。と言う話をしました。ぶつぶつ言われましたが、後日返答します。と言う話になっています。これが一か月前くらいの話。もう一つ言ったのは、都心から川崎、横浜方面に帰る人たちが通ります。本来住む所が無くなった区民の所なのに、訳の分からない方々がここに泊めてくれと言って来そうです。そういう人たちは行政と民間企業が協定を結んで一時滞在施設として3日間滞在できるように水食料を準備する形で体制が整っています。帰宅困難者はそのようなところに行ってもらう事になっているのですが、我々はその一時施設がどこに有るか知らない、役所は協定を結んでいるので場所を知っている。避難所に来る職員の方がその情報を持参する。その地図には東町小からの行き方が書いてある。
それを周りの5か所くらいの情報として必ず持って来る様にお話をしたのですが、役所はこうゆうのを作っています。と見せられたのはQRコードがあって、現在開設されている一時避難所などの情報を見ることが出来るポスターを作っています。とのことでした。一枚くれとはいっています。ただ情報が錯綜しているさなかなので紙ベースが一番大事だと言っています。これについてもおって連絡するとのことでしたが、今の所返事はありません。私の方でもここの運営がしやすい様に話をしています。役所が上で我々が下と言う事ではなく一緒にやりましょうと言ってあります。チョットだけ期待をしていてください。(三戸谷)
 
宣言前に、学校に入り準備をしても良いのですか?(大塚)
 
そうです。その方は宣言をするのが仕事です。(三戸谷)
 
〇協働推進課の池端課長に、三戸谷さんからWEB版の東町小地区のハザードマップを作るように依頼をし、出来上がったそうです。別途配布します。(大塚)
 
〇この間古川が危険な状況になった時、防災情報がスピーカーから流れたようなのですが、雨で聞こえませんでした。防災ラジオには流れませんでした。なぜ流さないのですか?以前にも同じことがあり役所に問い合わせをしたところ「関係ない人がうるさがるから」とのいお返事でした。しかも知り合いとか、出かけようとした人とか広がりが必要なのでは。また避難所に来る方は本当に来られるのですか?遠くに住んでいたら間に合わないのでは?また一人だけではなく、複数人で対応をしないと。港区は防災士を沢山養成しました。その人たちも含め本当に対策をしないといけないと思います。いざという時に本当に大丈夫かと思ってしまいます。(加生)
 
私が聞いている話では、発災時に区役所近辺に住んでいる対策担当者が区役所に集合しそこから各防災協議会に派遣されると。区近辺に300人ほど住んでいると聞いたことはあります。(大塚)
 
こんな話が出来るのは東町小地区防災会だけです。それもあと3年くらいです。そうなったら「俺はもう知らない」となります。
 
区が独自に集めている情報で、システム上、古川の情報を流すことは出来ませんでした。
改善に向けて改良を進めています。(上原)
 
 
〇夏休みラジオ体操について
 7/22,23,24にラジオ体操を行います。
 見たことがある顔があるというのは防災の一歩かとも思います。健康委のためにも
ぜひご参加ください。(PTA会長佐久間)
 
 
 
 
 
 
◎次回のごあんない
 
8月は例年通り「夏休み」とします。
 
次回は9月19日に行います。詳細は改めてご案内します。
 



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