社会で真面目がうまくいかない
ちゃんとやってるのに怒られる、そんな経験ありますか?
自分自身は真面目にやっている、ほかの人よりしっかりしているのになぜか周りから浮いてしまう。
浮いてしまうだけならまだしもなぜか怒られてしまう、真面目にやっていてこういう経験になっていることはあります。
正直、真面目だけではうまくいきません。
自分でも真面目にやっている意識がある人は特にです。
その理由について語っていきます。
学生の時の真面目とは?
学生時代、真面目にしっかりやっていればとなっていたと思います。
成績が悪くても、運動ができなくても真面目に授業を聞いて頑張っていたらそれだけで印象はよかったかもしれません。
学生時代はそれでいいのです。
なぜなら学校という組織に在籍しているということが一番大きな成果なのですから。
義務教育の特性上、一番の評価は授業に参加していることです。
どんなに頭がよくても、運動神経があってもいじめられていようと理由が通らなければ学校で授業を受けないことは一番の罪になるのですから。
しかし、義務教育を終えてからはその環境は変わっていきます。
高校、大学ではある程度成果を求められるようになるのです。
ある程度の成績が必要となりそのために勉強する。
社会に近くなっていくのかもしれませんがそれでも先生の温情や学校自体の評価の仕方次第では「真面目」だけでもなんとか超えていけるかもしれません。
社会に出てからが大きな壁
学生時代、真面目という武器に磨きをかけて何とか通過できたとしてもその先に待っているのは社会人です。
そうなったとき学生と違って求められることがあります。
それは「利益」です。
もちろん学校と同じ真面目でうまくいく社会も存在しないことはありませんが基本的には利益を出せるようになるかが社会では大切になってきます。
そのため学生時代の席について授業を聞いてのようなだけでは評価になりません。
必要になるのはそこからの「成果」なのです。
真面目にやって残業もしてるのに成果は一人前と
ちょこちょこ休憩も入れて残業もしないで帰宅で成果は一人前
社会ではどちらも評価は一緒になってしまいます。
いや、残業代が発生しない分後者のほうが良い人材となるかもしれません。
上司は人間性より数字で見たがります。
そのほうが圧倒的に楽だからです。
そうなっている場合、評価対象はいかに利益を出すか。
利益の出し方は人によって違いますので今やっている仕事が利益を出すことにどう直結してるかが評価になるのほうが当たっているのかもしれません。
必要な前提を忘れてはいけない
学校と社会での評価の違いで大きいことは学校は最優先は組織、社会は最優先は利益です。
そのため真面目に今までやってきたこととは別のことが必要となってしまいます。
それでも真面目にやっていればと思うと空回りしてしまいにはお荷物となってしまうかもしれません。
そうならないためにも組織にいるという前提で真面目の方向を変えていけたら強みになるかもしれません。
私自身は真面目に取り組むことを悪いとは思いません。
ただほんのちょっと目的意識が違うだけと感じています。
少しでもそこに生きづらさを感じるのであればほんのちょっと今いる場所で期待されていることを確認してはいかがでしょう。
必要なことが分かっただけで大きな飛躍になるきっかけが生まれるかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?