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【創作】春のカミサマ

    文 千賀泰幸  絵 はらかな

桜の古木(こぼく)の麓(ふもと)には、
虫の村がありました。
秋の最後の満月の日は、
秋と冬とのはざまの日。
昼と夜とのはざまのたそがれ時。
音楽祭が始まります。
歌自慢はもちろんのこと、
歌が苦手な虫は裏方と、
村のみんなが出演します。
それゆえ、観客といえば、
クモとケムシとミノムシだけ。
「今度の祭りはずいぶん早いな」
クモが首をかしげます。
みんなには初めての音楽祭も、
年寄りクモには二度目です。
 祭の日取りを決めるのは、
村長のトノサマバッタ。
何故なら村の長(おさ)だけが、
「秋が終わる日」がわかるから。

バッタの指揮に合わせては、
マツムシ、スズムシ、クツワムシ、
コオロギ、ウマオイ、キリギリス。
みんながみんな歌います。
一所懸命に歌います。
 満月が中天(ちゅうてん)に至る頃、
音楽祭は最高潮。
祭の最後の演目は、村全員の合唱です。
冬を越せない虫たちの、
これが「別れの歌」なのです。

月夜の道を帰るクモ。
指揮者のバッタを想います。
バッタは息子の親友です。
息子は離れて暮らしています。
クモは小さなため息ひとつ。
祭が終われば冬が来ます。
虫たちがいない、冬がきます。
さらにはケムシもミノムシも、
冬を越えたら、いなくなります。
それを知るのはクモばかり。
「これが理(ことわり)ということか」

その翌朝にはミノムシが、
冬越え用のミノを受け取りに、
クモの家にとやって来ます。
八本手足を持つクモが、
ミノムシのミノを繕います。
その縫い針はケムシの毛針。
二匹で一緒に住んでいます。
「ミノがあれば誰だって、
 冬が越せるかも知れないね」

にこにこ話すケムシの言葉に、
クモが思わず手を打ちます。
「そうだ、すごいぞ、ケムシくん。
 ミノがあればバッタくんも、
 きっと冬が越せるはず」

ケムシとミノムシを家に残し、
クモはバッタの家へと全速力。

「冬を越せる?このぼくが?」
バッタは、心底驚きます。
「それなら、春が見たいなあ」
バッタは夏の生まれゆえ、
春を見たことがありません。
クモはバッタに約束します。
「私が、春を見せてあげる」

その翌朝の夜明け前、
クモは目を覚まします。
家の外では虫たちの声。
戸を開ければ虫たちが、
村のみんなが揃っています。
みんなが一緒に叫びます。
「私のミノを作って下さい!」

「ミノがあれば、春が見られる」
あれから
バッタが仲良しのマツムシに、
マツムシがウマオイに、
ウマオイがみんなに話したのです。
クモの後ろでケムシが、
おろおろおろおろ震えます。
「ぼくが『ミノ』なんていったから、
 大変なことになっている」

クモが大きな声をあげます。
「わかった。ミノを作ります!」
みんなは喜び、大歓声。
今度は、自分のミノを頼もうと、
みんながみんな、大騒ぎ。
その時トノサマバッタ村長の、
大きな声が響きます。
「我らが冬を越せぬのは、
 カミサマの定めた理(ことわり)なり」

みんなは揃って姿勢を正し、
一斉に村長に注目します。
「音楽祭は終わった。
 だから我らはこのままに、
 土に還る運命なのだ」

静まり返ったその中で、
キリギリスの声がします。
「それでも、春を見てみたい」
「春を見るなんて夢、
 夢にもみたことはなかった」
 
と、コオロギが。
「けれども、もう、その夢を、
 みんながみんな、みてしまった」

 と、スズムシも。
「ミノさえあれば、その夢がかなう」
そういうクツワムシに、
村長はやさしく尋ねます。

「そうだね。
 だけども、そのミノが、
 間に合わなかった虫はどうなるの?」

みんなは本当に静まりかえります。
「そこでこれはどうだろう。
 我らは、一緒に死を覚悟した仲間。
 だから、一緒に春を見よう」

「それはどういうことですか?」
尋ねるクモに村長が、
みんなを見ながらこたえます。
「ここにいるのはみんなで四十七匹。
 この全員分のミノができた時に、
 みんなで一緒に受け取りたいのです」

小さな拍手が始まって、
みんながみんな拍手します。
 クモはバッタに確かめます。
「それでいいかな?バッタくん」
バッタはしっかりうなずきます。
「そうか、わかった。
 わかりました。
 みんなに、春を見せましょう」

こぶしを上げるクモを見た、
みんなが起こす大歓声。

それからクモは、ひたすらに、
ミノを作りに作ります。
十着まではすぐできます。
二十をすぎて二十八にもなると、
色とりどりだったミノは、
枯葉の色になりました。
 
ある夜、
ひとり村長が、
クモの様子を見に来ました。
手を止めないクモに代わり、
ケムシが戸口で相手をします。
「教えてください、村長さん」
小さな声で、ケムシがいいます。
「もしも、ミノが間に合わなければ、
 クモさんはみんなに恨まれませんか?」

さらに声を落とします。
「運命を変えたりしたら、
 カミサマの罰があたりませんか?」

ケムシは思い切っていいます。
「本当はぼくがいったのです。
 『ミノがあれば』といったのはぼく。
 だから、恨みや罰ならば、
 ぼくが受けるべきなのです」

村長がうなります。
「そうか、なるほど、あのミノは、
 ケムシくんの言祝(ことほぎ)か」

そして、にっこりいいました。
「大丈夫。
 恨みも罰も何もかも、
 全部私が引き受けます。
 『みんなで一緒に』といったのは私。
 何より私は村長だから」

黙ってしまったケムシに、
村長が笑って続けます。
「ケムシくん、
 クモさんを頼みます。
 私たちの希望なのだから」

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ついに、四十を越えたミノ作り。
いよいよ枯れ葉が固くなり、
ケムシの毛針も折れるほど。
なかなか、はかがゆきません。
それゆえクモはひたすらに、
休まずミノを作ります。
眠りもせずに作ります。
「クモさん、お願い、休んでください」
みんなの希望を託された、
ケムシは、必死にいさめます。
けれどもクモは止まりません。
「みんなに春を見せること。
 それは、私の夢になったのだ」

そして、笑っていいました。
「おそらく、
 これは運命で、
 私はこの為に、
 生まれてきたのだ」

四十六着目ができたその夜が、
一番寒い夜でした。
その翌朝が明けるころ、
最後のミノが縫い上がります。
ケムシはようやく終わりかと、
戸を開けて息をのみます。

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そこは、一面の銀世界。
村には昨夜の初雪が、
薄く積っておりました。
戸を閉めたケムシは、
村長の家へと急ぎます。
それからバッタの家へ。
そして、みんなの家にも。
ケムシの歩みは全身で、
のろのろのろのろ進みます。
ですから、ケムシが帰ってきた頃は、
夜が始まるたそがれ時。

12

「クモさん、間に合わなかった」
戸を開けたケムシが見たものは、
最後のミノを抱いたまま、
動かなくなったクモでした。
ケムシはひとり泣きました。
たくさんたくさん泣きました。
空から雪が降ってきて、
何もかもを埋めました。

13

それでも時は流れます。
それでも、春はやって来ます。
その春がゆき、夏が来る頃、
虫の子供たちが生まれました。
虫の子供たち、みんな合わせて四十七匹。

撫子の林の影で、
子供たちが遊んでいると、
枯葉の山を引きずって、
毛針の怪物が現れました。
子供たちは怪物を、
恐る恐る取り巻きます。
その怪物はいいました。
「これはカミサマからのお祝いだ」
それだけいって怪物は、
もと来た方へと去りました。
のろのろのろのろ去りました。
怪物の姿が見えなくなると、
みんなで枯葉の山を囲んでは、
「これは何か」
と、がやがやざわざわ。

14

枯葉の山から突然、声が聞こえて、
みんなは飛び上がります。
よくよく見ると枯葉色の翅の怪物が、
枯葉の山の上にいます。
「おれはミノ蛾で、
 元はミノムシ。
 さっきの怪物はケムシくん」

ミノムシといういきものは、
春になったらミノを脱ぎ、
翅(はね)を持つ蛾になるものです。
ミノムシ時代に見てきたことを、
ミノ蛾は話して聞かせます。
「ケムシの姿が変わってないのは、
 クモさんに託されたから。
 そして、おそらくこのオレも、
 何かを託されているはずだ」

15

夏が去って秋になっても、
時が止まったこの家で、
ケムシはケムシのままでした。
村長に頼まれたのに、
ケムシはクモを守れませんでした。
クモの夢も、みんなの夢も、
どちらも、かないませんでした。
しかも、それらの夢たちは、
みなくてもいい夢でした。
それらの全ての始まりは、
ケムシの「呪いの言葉」から。

16

いつしか秋の最後の満月の夜。
外の声に気づいたケムシは、
閉め切っていた戸を開きます。
空には満月と満天の星。
蒼い月明かりのその下に、
村のみんなが並んでいました。
みんなはミノを着ています。
トノサマバッタがお辞儀します。
あの村長の娘です。
「ケムシさんとクモさんに
 聞いてほしくてやって来ました。
 父母が歌った『別れの歌』でなく、
 ミノのおかげの『祝いの歌』を」

娘村長がそういうと、
バッタの息子の指揮に合わせ、
みんな一斉に歌います。
ケムシは、空を仰いでいいました。
「聞こえますか?この歌が」

17

すると、晴れた星月夜の空から、
白い雪が舞い降りてきました。
「ああ。クモさんは、ここにいる」
風花(かざばな)が舞う星月夜の下、
静まり返った夜の中、
虫たちの『祝いの歌』は、
誇らしげに響き渡りました。
 
ミノを着たみんなは一緒に、
翌日から眠りにつきます。
春が来るまで眠ります。
ところが、「春の始まり」を、
村の誰もが知りません。
「秋の終わり」がわかる村長にも、
こればかりはわかりません。
「約束ですよ。ケムシさん。
 春になったら知らせてください。
 みんなに春を見せてください」

村長がケムシに約束させます。
これでケムシは春が来るまで、
生きぬかなければなりません。
 
ケムシは、村にそびえ立つ、
桜の古木を見上げます。
あの木に咲く花こそが、
春が来たとの証(あかし)です。

月は満ち欠けを繰り返し、
風向きは北からやがて南へと。

18

いつしかケムシの身体には、
異変がおきてしまいます。
ケムシの毛針は抜けおちて、
硬い皮にて覆われます。
ケムシは動けなくなります。
身動きとれないケムシは、
深い眠りに落ちました。
長い眠りのその果てに、
懐かしい声が聞こえます。
「希望のミノが受け継がれ、
 止まった時が動き出した。
 ケムシくん、約束を果たせ。
 笑って。笑ってごらん」

たしかにそれはクモの声。
 ケムシは目を覚します。

19

なんと、ケムシの身体には、
蟻が群がっていました。
蟻たちはケムシの身体を、
地中に運び込もうとしています。
けれどもケムシは動けません。
「ああ、このままでは
 みんなとの、約束が果たせない」

「ケムシさんを放せ」

そこに飛び込んできたのは、
クモの息子でした。
隣村まで飛んできた、
ミノ蛾が伝えた、父の物語。
自分の村の虫たちにも、
ミノを作ろう、春を見せよう。
そのミノを作るため、
ケムシの毛針を得るために、
息子は故郷に帰って来たのです。

そのクモが見たものは、
ケムシの変わり果てた姿でした。
大きなクモに襲われて、
蟻は逃げてしまいます。
「ああクモさん。また会えた」
笑ったケムシが見たのは、
息子のクモか。
それとも。
 
まさにその時も時。
ケムシの身体が二つに割れて、
黒い翅が現れました。
ケムシは蝶になったのです。
蝶は激しく羽ばたいて、
部屋の壁にぶつかります。
思わず、クモが戸を開けます。
蝶は羽ばたき、外へ出ます。

19

夜と朝とのはざまのかわたれ時。
闇を破った暁の中、
黒い蝶が舞い上がります。
高く、高く、舞い上がります。
 
すると、かわたれ時の空から、
白いものが舞い降ります。
「まさか、今ごろ、雪なのか?」
見上げるクモの上に舞い降りてきた、
咲いたばかりの桜の花びら。

20


暁に舞うのは、小さな、小さな桜吹雪。
春の曙の光の中。
黒い蝶が起こした桜吹雪が、
村長が眠る家の戸を叩きます。
 
「春が来たよ」と知らせます。

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