3.5 ひのきしん再考
今回は、「ひのきしん」という言葉について考えてみたい。
天理教の信仰者は、ひのきしんという言葉をよく使う。
その意味は皆すでに知っている。
日頃、神様から頂戴している御守護に感謝し、お礼の気持ちを、何か行動に移すこと。
お道の者にとっては、既知の常識である。
『天理教教典』(第八章)を読めば、詳細に記されており、今さら振り替える必要はないかもしれない。
それよりも、実践していくことが大切ではないか。
もっともな意見であろう。
しかし、時折お言葉に込められた意味を尋ねることも、決して無駄ではないと思う。
正文化された説明に、すぐ触れられる私たちは、分かった気になってしまいやすい。
教祖が、ひのきしんと説かれた、当時のお屋敷の状況、お側の方々、
時代背景などを調べていくと、今まで気づかなかった、大切な思召に気づくことがある。
教祖は、どんなお気持ちで、ひのきしんと仰せられたのか。
今一度、心をしずめて再確認してみたい。
寄進とは、
周知のごとく、ひのきしんに漢字を当てると、「日の寄進」となる。
寄進とは、お寺や神社に、お金や物を寄付すること。
お寺や神社に対する感覚は、現在の感覚と、教祖の説かれた当時とでは、
大きく異なっている。
檀家制度という仕組みにより、江戸時代のお寺は、地域における教育や福祉、文化の拠点としての役割を担っていた。
現在は主に、「葬儀をしてくれるところ」というイメージが一般的だが、当時は行政機関の権限を持っていた為、地域住民の生活と強く結びついていたのである。
檀那寺には、「お世話になっている」「守って貰っている」という感覚が強く、修繕や改築、普請といった時には、当然のような感覚で、寄進をされたようだ。
「この時ばかりは、しっかりお礼させてもらおう」。
こんな気持ちで。
いづれにしても、神様や仏様に「いつもありがとうございます」という感謝の気持ちから、お金や物を献納することが「寄進」である。
当時の方々にとって「寄進」とは、ごくごく身近な言葉であり、その意味は容易に理解されていた。
「ひの」と付け加えられた
教祖は、その「寄進」という語の頭に、「ひの」と付け加えられた。
私は、この「ひの」という言葉に、教祖の強い思召が込められていると思う。
ひのきしんという言葉を理解する上で、この「ひの」が、大切なポイントだと思うのである。
考えてみれば、神社や寺院の普請、古くなった建物の建て替えは、そう頻繁にあることではない。
むしろ、一生に一回あるかないかという、超稀な大イベントではないだろうか。
当時の人々は、「この時ぐらいは、一発ごそっと寄進せねば」こんな感覚だったと想像する。
ところが教祖は、そこに「日の」と付け加えられたのである。
神様へのお礼は、何かのイベントの時だけするのではなく、日々常々が大切ですよ、という意味が強く込められていると思うのである。
いつでもできる「ひのきしん」
その方法は何だって良い。
どうやら教祖は、お金や物を献納するだけにこだわっておられないようである。
もつこになうてひのきしん (十一下り目)
ひとことはなしハひのしきん (七下り目)
などと教えられる。
なにかめづらしつちもちや
これがきしんとなるならバ (十一下り目)
とも詠われ、たとえ、少し土を運ぶことであっても、ご恩報じの行為であるなら、悉くひのきしんであると仰せられる。
大層なことをしなくても良い。
ただ、日々常々が大切ですよと。
これがひのきしんに込められた大切な意味ではないだろうか。
今年は、新型コロナウイルスの感染拡大により、行事が次々と中止になった。
外出すること、人が集まること、にをいがけに出ることさえ難しくなった。
でも、これほどいろんなことが出来ない状況なのに、ひのきしんは出来る。
今年、様々な行事が中止になる中で、「全教一斉ひのきしんデー」は、「中止」ではなく「それぞれで」との報告だった。
ひのきしんは、こんな状況でも、心一つで出来るんだと気づかせて頂いた。
けれども、やはり、ひのきしんデーだけ勇んでおれば良い訳ではない。
もし仮に、年に一度のひのきしんデーだけ励むのであれば、それはもはや
「ひのきしん」ではなく、「としのきしん」になる。
月に一度の「ひのきしん日」だけ勇むというなら、それは「つきのきしん日」。
教祖は、「ひのきしん」と教えて下さった。
ご恩返しは、時々するようなものではないと。
翻って、つらつらと偉そうなことを述べた自分はどうか。
私がいつも、やってしまっているのは、気分がのった「ときのきしん」。
これではダメだなーと反省させられる。
今後は、教祖の教えて下さった「ひのきしん」を心掛けていきたい。
R183.6.14
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