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3.ひのきしんの原風景

『稿本天理教教祖伝』p53
元治元年六月二十五日、飯降伊蔵が、初めて夫婦揃うてお礼詣りに帰った時、おさとが、救けて頂いたお礼に、何かお供さして頂きましょう。と言ったので、伊蔵は、お社の献納を思い付いた。
(第四章 つとめ場所)


お道の教えって凄いなーと感じる。

どんな時にそう感じるか。

一つには、
教えを「何としても分からせてやりたい」という、
教祖の配慮、親心を感じた時に、
そう思う。


陽気ぐらしの教えを、
ただ言葉で説明されただけではない。
「こうするんですよ」 と、
お手本を見せて教えて下さった。

今回のテーマである「ひのきしん」も、
そうかもしれない。

ひのきしんの意味を、
ただ言葉で、説明として、
論理的に(左脳で)理解するだけでなく、

イメージとして、お手本や情景として、
(右脳で)学ぶことは出来ないだろうか。

そんなことを考えながら
教祖伝を読んでいると、
ひのきしんのひながた
ともいえる場面があるように思った。

つとめ場所の建築である。

私はここに、ひのきしんのモデルが示されていると思う。

そこで今回は、
つとめ場所建築の雰囲気や情景を想像し、
ひのきしんの原風景をたずねてみたい。


みかぐらうたの背景

ひのきしんという言葉は、
おふでさきには出てこない。

原典では主に、
みかぐらうたによって詳説されている。

やむほどつらいことハない
わしもこれからひのきしん
 (三下り目)

みかぐらうた(第五節)が執筆されたのは、
慶応三年。

記録に残る史料では、
教祖が「ひのきしん」と説かれた
最初の典拠が、これである。

そして、このお歌の最初には、

ひのもとしよやしきの
つとめのばしよハよのもとや
 (三下り目)

とある。

慶応三年は、
つとめ場所の建築のすぐ後であるからしても、
みかぐらうたは、
つとめ場所の建築という背景をもとに、
お説き下さっているお歌
のように悟らせて頂く。

逆に言えば、
みかぐらうたの解釈は、
つとめ場所建築の様子や、
情景を踏まえて理解することで、
より深く、正しく、
思召を悟らせて頂ける
と思うのである。


みな世界が寄り合うて


みなせかいがよりあうて
でけたちきたるがこれふしぎ
 (三下り目)

飯降伊蔵先生の御恩報じをきっかけに、
助けれらた人々が寄り集まって、
私はお金、
私は畳何枚、
私は瓦何枚
というように、
文字通りの「寄進」が始まった。

神様のご指示で始まった訳ではない
ということに妙味がある。

誰に頼みはかけねども
みな寄り合うて始まったのである。

そこには、
厳しさ、堅苦しさというような
雰囲気は感じられない。

棟上げの日、
特に熱心に取り組まれた飯降伊蔵先生と、
山中忠七先生の喜びはひとしおであった。

どちらが、
上の句を詠まれたのか分からないが、
一人が、
「おしゃか様さえ、ばくちに負けて」
と唄えば、もう一人が、
「卯月八日はまるはだか」
と詠む。

他の唄をご存知ないから、
終始こればっかり。
どうやらお二人は、
あまり唄がお上手でなかったようだ(笑)
当時の微笑ましい情景が浮かんでくる。

冗談の一つでも言いながら、
喜びの鋸を動かし、
感謝の金槌を打っておられたのだろう。

和やかな雰囲気で、
御恩報じに汗を流す風景
に、
ひのきしんのモデルを見るようである。


先日、大教会で、
造園倉庫の修繕ひのきしんを行った。
錆を削ったり、ペンキを塗ったり、
作業は単純であるけれど、
皆で協力し合ってするひのきしんは清々しかった。
つとめ場所の建築も、こんな雰囲気だったのかな―。


まだあるならばわしもゆこ


ところが、
和やかな雰囲気というだけで、
ひのきしんの本質は語り尽くせない。

その後、
大和神社の一件により、
人々が寄り付かなくなった中でも、
一人、真実尽くし続けられた、
飯降伊蔵先生の足跡にこそ、
ひのきしんの本質が示されている。

いつも笑われ謗られても、
人が何事言おうとも、 

「内造りは必ず致します」
 とお誓いになり、
欠かさずお屋敷へ通い続けられた。

そして、
最も敬服することは、
普請の完成後も、それを続けておられることである。

新築の掃き掃除や拭き掃除をはじめ、
未払いであった材木屋へ、
借金の断りに頭を下げて廻られたことも、
「これがきしんとなるならば」
との精神からであろう。

よくをわすれてひのきしん
これがだいゝちこえとなる
(十一下り目) 

何かの御守護を頂きたくて、
あるいは建築完成という目的の為ではなく、
「自分に出来る事なら何なりと」
との一心で、通い続けられたのであった。
その期間、なんと丸九年。

いつくまでもつちもちや
まだあるならバわしもゆこ
 (十一下り目)

飯降伊蔵先生の態度をして、
教祖は「ひのきしん」と仰せられた
のではないか。
執筆時代の背景を鑑みて、
そう悟っても、私は間違いではないと思う。

一方で、
日頃の自分と比べると、
余りにも真反対な現状に、
情けなく思えてくる。

みんなで作業をしていても、
つい私は、

出来るだけ早く終わりたい
まだあるんだからお前もやれ

こんな心ばかり使っている。


これを期に、
たとえ寸分の一でも、
伊蔵先生の姿を見習わなければ。

R183.6.14

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