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19.言葉とお手本

前回、ひながたの道は、人間の常識的な価値観や倫理観で解釈するのではなく、神一条のモノサシで思案することが大切ではないか、と述べました。
 

では、神一条のモノサシで思案するとは、具体的にどういうことなのか。

今回は、そんなテーマで書かせて頂きます。


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 お道の教えで、私は「ひながたの道」がとっても好きです。

 原典(おふでさき、みかぐらうた、おさしづ)などの「言葉」だけでなく、ひながたという 「お手本」 「ご行動」 でお示し下さったということは、本当に有難いことだと思うからです。


 物事の理解は、言葉や説明だけでは、中々分からないことが多いです。

 私は学生時代、6年間飲食店でアルバイトをしていました。厨房にて、新しい料理が発表された際、言葉が羅列されたレシピを読むだけでは、上手に作れる自信がありません。

「醤油何cc……。」

「火は、野菜がこれくらいの色になったら中火にする……。」

 かなり丁寧に書かれていますが、たとえ細かく記載されてあっても、上司に一度作って貰い、側でお手本を見せて貰った方が、圧倒的に分かりやすいのです。

 しかも、実際にお手本を見せるからこそ、説得力が増します。

 太っている人に、 「この薬を飲めば、痩せられるよ」と勧められても、その商品を買う気にはなれないでしょう。

「言葉」だけでなく、実際に「お手本」を示して貰えるからこそ、私たちは納得しやすいのではないでしょうか。

「口」や「筆」だけでなく、 「ひながた」の道を通って教え導いて下さった教祖。なんとしても分からせてやりたい、陽気ぐらしをさせてやりたいとの親心を拝します。



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 でも一方で、考え方によれば、この「ひながたの道」こそ、難しい教えだなとも思います。

 話や書き物であれば、言葉の意味さえ理解できれば、神意を思案できますが、ひながたの道は、お姿や御態度、ご行動です。

 言葉ではなく動きから、どういう思召かを悟ることは、中々容易ではありません。

 たとえば、会社で上司が「なんでそんなやり方をするのか」と思うような活動を展開するとします。しかも、突拍子もないやり方で。

 もちろん、こちらは新米で、上司の方が視野も広く、経験も豊富なため、活動内容の素晴らしさに、理解が追い付かないのはこちらの方ですが、「なぜそれをするのか」「それが何を意味するのか」「なぜそんなやり方なのか」ということは、行動や姿を見るだけでは、中々理解できないのです。


 そこで上司から、言葉でもって「○○のためにこうする」 「○○だから、このやり方で」などと説明があれば、私たちは納得しやすくなります。

 行動の真意は、行動のみを眺めて推測しても中々分かりません。ご本人の口から説明を聞き、言葉の裏づけがあるからこそ、誤りなく理解できるものなのでしょう。


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 ひながたの道も、同じではないでしょうか。

 教祖のお通り下されたひながたの道。私たちはつい、ご行動だけを眺めて解釈してしまいますが、そこにどんな思召が込められているのかということを、原典(神様のお言葉)を元に思案することが、とても大切だと思います。

 貧に落ちきる道すがらも、原典のお言葉を元に思案することが、とても重要なことではないでしょうか。


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 だからこそ私は、『稿本天理教教祖伝』が素晴らしい書物だと思うのです。

「稿本はしがき」にもありますように、『稿本教祖伝』は、徹底的に「おふでさきに基き」編纂されています。

 まさに、「教祖のひながたを、世界一列に徹底実践させて頂く、基準となる書物」 であり、「理を明らかにし、教祖のひながたの真髄を伝えさせて頂くという意味に於ては、欠ける処の無いもの」です。

 今日、『稿本教祖伝』を簡単に手に取れる私たちは、幸せなことですね。


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 しかし一方で、私はもう一歩、深くひながたの道を掘り下げられないかなー、なんて考えたりもしました。


「おさしづ」に注目したのです。


 おさしづを読ませて頂くと、教祖の道すがらを語られたお言葉が、けっこう見つかります。

 おふでさきに基いて記されたのが『稿本教祖伝』。 では、道すがらを語られたおさしづの言葉を拾い上げ、その角度からも思案を深めていけば、より一層、ひながたに込められた親心に気づけるかもしれない。そう考えたのです。


 しかも、おさしづでは、貧に落ちきる道中を語られたお言葉は少なくありません。

 人間常識のモノサシではなく、神一条のモノサシで、貧に落ちきる道すがらを思案していきたい。

 次回からは、おさしづを頼りに、貧に落ちきられた思召を思案していきたいと思います。


『稿本天理教教祖伝』 p 210
 教祖は一面に於いて、月日のやしろとして理を説かれた。しかも、他の半面に於いては、地上に於ける親として、人々によく分かるようにとて、自らの身に行い、自ら歩んで人々を導かれた。
( 第八章 親心 )

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