若いときしかできないこと。
先日、猫のグレーグレーが死んでしまった。どうやら老衰だったみたい。撫でようとすると逃げて、わたしがごはんを食べているときだけすりすりと体を寄せてくる、なんとも可愛らしい子だった。特別可愛がっていたわけでも、手塩にかけてお世話していたわけでもない。でも、グレーグレーと仲良しだったメメちゃんが最近よく鳴いている。寂しがっているようだ。そんなメメちゃんを見ていると、こっちまで悲しくなってしまう。
先日、福島に住んでいる素敵な友人が那須に遊びに来てくれた。わたしが生活している場所を案内し、ここでのボランティアや、農作業、家畜の世話などについて説明すると、「とても面白い。それって若いときにしかできないよね」と彼女は言った。
さて、本当にそうだろうか。
ここでは会社を定年退職した人や、わたしのおばあちゃんと同い年の年配の方もボランティアしている。たしかに農作業や家畜の世話は体力がいるし、若い人に向いているかもしれない。でも、お年寄りでももちろんできるし、わたしたちは彼らを手伝うことができる。年齢で区切る必要なんてない。やろうと思えば、情熱さえあれば、なんでもできるのだ。
では、「若いときにしかできないこと」ってなんだろうか。バックパックで世界一周旅行?新しい言語の勉強?楽器の習得?失敗すること?転職?夢中になれるような恋?
わたしは、70歳からピアノを始めて、92歳の今、歌いながら両手でピアノが弾けるおばあちゃんを知っている。50歳を過ぎて、ドイツへパン修行に行き、地元で週一のパン屋さんをやっているおばあちゃんも知っている。なんでも修理できるおじいちゃんは先日美味しいルバーブのパイを焼いてくれた。59歳から英語の勉強を始め、マーシャル諸島で数学教師をしていた68歳のおじいちゃんも知っている。彼らを見ていると、何かを始めるのに遅いことなんてないし、いくつになっても夢を持ち、追いかけるパッションとチャレンジする勇気がある人は輝いている。Age is just a number. 年齢なんてただの数字だと思う。
でも、ただ一つだけ、あると思うのだ。「若いときにしかできないこと」。それは、年配の人と話すこと。ただ、彼らの話を聞いたり、おしゃべりしたりすることだ。これは、若いときにしか、今しかできない。
彼らの中には、戦争経験者、広島、長崎の原爆被害者、沖縄奄美のアメリカ統治時代を知る人、学生運動をしていた人、水俣病患者、ハンセン病や結核によって差別を受けてきた人、伝統工芸品の作り方を知る人もいる。アナログからデジタル社会への変遷を見届け、令和まで変わっていく時代をいくつも見てきた。彼らには私たちが現代ではできないような経験、便利になった世の中では不要となってしまった技術、面白いストーリーがある。お年寄りは、若い人にはできないことがたくさんできる。たくさんのことを知っている。それってとても魅力的だ。
人間は歳を取ればいずれ死ぬ。これはこの世でひとつだけ、みんなに訪れる平等なことだ。彼らは順当に行けば、もうすぐ死んでしまう。私たちより早くいなくなってしまう。彼らの話は長ったらしくて、説教っぽくて、古臭いかもしれない。何度も同じ話を繰り返すかもしれない。でも、それでも良いと思う。いつか彼らに聞きたいことがあったとしても、そのときできないかもしれないのだ。「年長者は敬わなければならない」なんて、必ずしも思わない。ただ、オープンハートで彼らの話に耳を傾けてみると、学びや気づきがあるかもしれない。
とある日、大胆にカマキリを捕食するグレーグレー。天国で幸せに暮らしていることを願って。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?