だから、もう眠らせてほしいを読んでの感想追記

↑こちらを書きながら考えていたのですが、↓こちらを読んでなるほどと思ったので追記です。有料部分がわかりやすいのですが有料なので引用は避けます。無料部分でもわかりやすいです。

西先生の記事や本とは少し主旨がずれるのですが私が常々謎だったハラスメント的な言動ってなぜ起きるのか。ということと、本書の中で一番印象的な場面と私の反省について。

いわゆるドクハラ的な事がなぜ起きるのか

非標準治療に走るきっかけとして「心無い言動を医療関係者から受けた(ように感じた。も含め)。」という出来事があると思います。私も初めての手術の時に術後に「痛いです」と答えたら「手術なんだから痛いの当たり前」と言われてムカッときたし、手術なんか二度とするもんじゃないなと思いました。

でも、多くの医療関係者は嘘偽りなく、患者のために何かをしてあげたいという気持ちであるのだろうと思います。

私が大きな病気の治療をしたときに、結構がつんとした副作用がある薬を使いました。昔はひどい副作用だったその薬は、現代では副作用を抑える薬があり私はさほど苦しむことなく過ごせたのですが、この「副作用が少なかったですよ」という話を当時診てもらっていた先生(複数名)や看護師さんなどの医療関係者に話したところ、皆しみじみと私の目を見つめ「よかった。それは本当によかった。」と言ってくれたのでした。

それはおそらく、私を通して今まで関わってきた患者さんを思い出しているんだろうなと。その様子に、今までの医療の進歩の道のりと医療者としての職務の重さをを感じ、ちんたら不満を言いながら治療をしている自分が恥ずかしくなりました。

が、しかし、それではなぜ

「手術したから痛いのは当たり前よ」などの言葉が出るのでしょうか。

チーム医療や痛みに制度として取り組む事

私は2つの病院で手術をしており、2つ目の手術は1つ目の手術の4年後位だったので、医療に関するあれやこれやも大きく変わっていたと思われます。おそらく病院毎の特徴というより、医療関係の方向性の進化による物が大きいと思うのですが2回目の手術は実に快適でした。

というのも、2つ目の病院はチーム医療を掲げており、実に様々な診療科や医者以外の医療者に関わることができました。

また「痛みの調査」なるものが実施されており、入院中は毎日「今日はどの位痛いですか?」ときかれて、好きなだけ痛みを訴えることができたのです。(対応してくれるかは別)

これって、制度がなければできなかったことですよね?個人でやるにはやはりどこかで無理がくる。

どうにかしたい・しなきゃという気持ちと専門性

ところで、医療は関係なしに問い合わせの電話や窓口で不躾な態度にあったことがないでしょうか?そしてそれは、一番最初に対応した人ではなく、権限がある人や専門性がある人に変わったらあっさり解決したことはないでしょうか?

それって、その最初に対応した人の資質や志ではなくて「制度上・慣習上そうならならざるをえなかった」という点も多分にあると思うんです。その限られた権限や対応の範囲の中で納めようとすると無理矢理な対応、ハラスメントチックな対応になる場合が多いのでは。

前述の、術後に「手術だから痛いのは当たり前」と言った看護師さんは、もうそれ以上にその看護師さんの管轄の中では痛みへの対応が不可能だったのでそう言って宥めるしかなかったんだろうなと、今になればわかります。そして、その看護師さんは、私が2番目に手術した病院に勤めていたら積極的に「痛いですか?」ときいてくれていたんだと思います。

制度を整えるって非常に大事なんだなという事と、その制度が整うと今までの常識がコロッと変わる物なんだなぁと。そういう意味では安楽死の制度も、できてみるとより充実した議論や考えが産まれるかもしれないなとも思います。

が、私は安楽死自体はどうしても倫理的というか宗教観というか昔みた地獄の絵や、死後の世界の話しがちらついて難しいです。

医者としてのギリギリの言葉

もう一つ、「だからもう眠らせてほしい」で印象に残ったばめんについて。

お医者さんというのは我々患者からみると神のような絶対的な存在で、病気に関して困ったことがあると何でも対応してくれる。と思いがちで、お医者さんも可能な限り対応したいと思っているんだろうと思います。

が、痛みにも苦しみへの対応にも限界があり、それは「だからもう眠らせてほしい」の中ではユカさんに「対話をする時間をくれませんか」と頼んだ、あの瞬間がそうだったのだろうと思います。

「虫がいい発言」かかれていますが、そこで納得させようとしたら、往々にしてハラスメントチックな対応になってしまうのではと思います。

私の治療中に一度「もう、辛いので治療をしたくない。なんでこんな思いをして治るか治らないかわからな事をしなければいけないのか。」のような話をしたことがあった。それは、それまでに色々副作用を軽くする薬などを色々試してもダメで、それでもまだ治療期間が残っていたという時期で、先生はずっと説明をしたりはげましたりしてくれていたのですがそれももう全部受け付けられない気分になってしまい、「もう治療をしたくないです」と言ったのですが、その時に私の先生は

「我慢だよ。うん、今は我慢しかない。」

と噛みしめるように言ったのでした。

普段なら「我慢なんかできるかぁあああ!」となりそうなんですが、なんというか、いつも根気強く説明してくれる先生にそんなセリフを言わせてしまったことが非常に申し訳なく、本来であれば医者として何とかしてやりたいと思ってらっしゃるであろう先生に「我慢しかないよ」と言わせてしまった。

その事を未だに折に触れて思い出し、申し訳なかったと思います。

ただ、やはり、その場面で無理に納得させるとしたらハラスメントな対応になってまい私の病院嫌いに拍車がかかったかもと思うと、申し訳ない気持ちと同時に感謝の気持ちもしみじみ感じます。

そうなんですよね、ハラスメント的な対応はその場を納めることはできても、次に繋げることはできないんですよね。

以上、どうしても書きたかったんですがこちらを応募すれば良かったかな。西先生お暇なら読んでください。




来年またなにかやれたらいいな