目立つファンはなぜ警戒されるのか

警戒っていうか「なぜ疎まれるのか」なんですが、ちょっと日和ってマイルドなタイトルにしました。

結論からいうと「楽しみを邪魔されるから」なんですが、どのように邪魔なのか考えてみたいと思います。
コンテンツの楽しみ方は人それぞれなので、邪魔だと思うポイントも様々。その辺を私が聞いたことや言った事がある悪口を参考に考えてみたいと思います。

ファンは平等であるべきなのか

他のファンを邪魔に感じるというのをもう少し具体的に言うと「自分がファンサービスを受けるのに邪魔」という事なのですが、他のファンを邪魔に感じてしまう気持ちの根底には「ファンは平等であるべき」という気持ちがあるのだと思います。
果たしてそうなのでしょうか。
それではファンサービスを独占できたらどうでしょう。

つかめそうでつかめないイチゴのように

ファンサービスというは、例えば10個あるイチゴを3人で分けるとき残りの一つをどうするのかという事だと私は思います。
一個丸っと誰かにあげるのか、三等分にするのか。
個人的には常に三等分というのも不粋に感じます。そもそも3個でいいかなって時もあるので、「食べたい人がいるならどうぞ。」という時もあったりするわけで。
ただ、全く期待していなかったときにふと「最後の一個あげるよ」と言われるとものすごくうれしい。
そういうものじゃないかなと思うのです。

が、目立つファンは最後の一つを常にもらえているような気がする。
というかそもそも目立つことが最後の一つをもらえているに等しいのではないのか。という気持ちに捕らわれてしまうのが人ってものです。

邪魔に感じる気持ちを感じたら

というわけで、それでもどうしようもなく生じる嫉妬心にも似た気持ちなんですがそういう時は今一度
①その行動はルールや法律に反してるかどうか
②その人と同様何かしらで目立ちたいのか(写真・絵・文章)
③そのファンサービスは本当に欲しいものなのか
を考えてみると良いかなって思います。

例えば、「自分の事を推しの彼女だと思っているファンうざい」というのを聞いたことがあるのですが、その人は席も後方でしっとり遠慮がちに見ているらしく(彼女だから?)、それはいいんじゃないか好きに思わせとけよって思います。これは、①に基づいた判断です。
なんなら全員彼女だって思い込んでくれててもいい。

目立つファンに嫉妬心を感じたら

あと、もう一つ、ファンの中には写真や絵などのファンアートが得意な方がいたりします。
そういった方というは、何かしらのすばらしさに触れそこから自分の創作意欲なり表現欲求をこらえきれずに行動として表に出すのだろうと思います。

それをみて「すごいなぁ」「うらやましいなぁ」と思うのも普通の気持ちだと思います。
が、「何かをしない」のは決して悪いことではないはずです。

これは、とある方が「何かしら行動を起こしている人は『そうしたい』からしているのであって、だからといって『しない』のは『できない』という事ではない」と仰っていたことからなるほどなと思いました。

特にしたくもないからやっていないことを「うらやましいこと」だと認識してしまうと、色々こじらせてしまうのではないのかなって思います。

という事を覚えておくと心穏やかに過ごせるのかもって思いました。
それでは皆さま、それぞれの場でそれぞれの推しを今日も元気に推しましょうね。


来年またなにかやれたらいいな