いい居合をする初心者

入門して半年くらいの弟弟子。ひさしぶりに見てみると、あきらかに居合がうまくなっている。

うまいと言っても、もちろんアラはある。たとえば、一番基本の業でも、重要な身体の動かしかたを「知って」いなかった。上級の者からみると、まだ登る階段はたくさんあるな、という感じである。

でも、その身体の動かしかたは、いちど教えればできるようになるな、という予感があった。違和感を抱えたまま居合をやっていたから、動かしかたを教えれば、一気に壁を超えるだろうと見てとれたのだ。

「居合では、業の起こりを相手に悟られてはいけない。正座で膝を寄せる動作は、膝をくっつけるのではなくて(そう教わるけどね)、腿を内側にねじ込むようにするんだ。そうすると、自然に膝がくっつくし、体がすこし浮く。浮いたところを、そのまま相手に斬りつける。これが第一本目です」

彼は晴れたような顔をして、それをやって見せた。まったくできていなかった。

「その方向性だよ」


今日また彼と会ったら、腿を内にねじる動作を身につけていた。

「うまくなったね。一週間で、すごくうまくなった」

と、ぼくが褒めた。ここだけの話だけど、そこらの三段よりも、うまいね。

「一週間、家でやりつづけたんですよ」

と彼は言った。「自分の姿を録画して、映像でも確認するようにして。あとうまい人のビデオも見つづけて、同じイメージになるように練習してます」。

「すばらしいね。大会でメダル取れるよ」

「そうですか!……ぶっちゃけ狙ってるんですけどね笑」

ぼくらは笑った。


なんで彼に目を付けたかというと、居合の動作すべてに理由があったからである。動作に理由があるから、密度の濃い居合になっている。見る人が見れば、情報量の差は歴然である。一年まえに入門した人よりも、情報の詰まった居合をしている。

そういう居合は、すぐにわかる。ぼくも同じ居合をしているからだ。

意識の差は、どこから生まれるんだろうな、とふと思う。上段でも、居合について議論するときに、「居合の言葉」を使えない人がいる。一方で、ぼくや彼のように、ごく短期間で居合の言葉を理解する人たちがいる。

もうね、まったく違ってきます。彼は、あと3か月やると、まったく違うレベルにいる。そのときぼくは、どのレベルにいるんだろうか。ギアを上げないといけない。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。