国家の正統性について

前回の記事で、国家について語るとき、最初に物理的暴力を軸に考える必要があることを指摘しました。ただし、意図的に触れなかった点があります。

国家とは、ある一定の領域の内部で――この「領域」という点が特徴なのだが――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である(『職業としての学問』)

このウェーバーの定義には、「正当な」という限定が付いています。これは、「正統な(legitimate)」を意味します。

政治学において、「正当性(justness)」と「正統性(legitimacy)」は、分けます。さしあたり、前者が合法であることを指し、後者は「合法であること」を成り立たせるものを言う、と理解してください。

たとえば、日本には死刑制度があります。なので国家が死刑を行うことには、正当性があります。国民は、日本国の正当な暴力行使として、死刑を受けいれています。しかしその正統性については、死刑制度に反対の人からすれば、疑義があります。もし反対の国民が多数を占めれば、死刑制度の正統性が失われ、国会で法改正が行われれば、正当性が移り変わります。

このように正統性と正当性を分けたとき、国家は、国民から正統性を確保しつづけなければいけません。そうでないと、統治できないからです。統治をするとは、「正当な物理的暴力行使を独占するもの」として認められる、ということです。正統性を確保できない政府は、いずれ転覆します。

議会民主主義は、この正統性を可視化した制度です。国民から議員へ、議員から政府へと、正統性が抽象化され、正統性を体現した政府が統治をします。何年に一度かの選挙で、統治機関の正統性が問われます。「もう一度、任せてもよい」という正統性があれば、続けられます。正統性を失えば、政府が移り変わります。政権の転覆を制度化して、低コストに行える。正統性の根拠を、可視化するからです。

近代国家は、正統性の基礎を拡大しつづけました。

それはすなわち、選挙権をもつ層を拡大させたということです。貴族から高所得者へ、高所得者から一般男子へ、一般男子から一般女子を含む成人の全国民へ。さいきんの日本は、「成人」の下限も下げました。

重要なのは、国民主権ではなく天皇主権を定めていた戦前でさえ、正統性の基礎を拡大する必要があったことです。どのような国家でも、統治民との相互作用を無視できません。民主主義なら、なおさらです。

正統性の基礎を量的に確保するのが、選挙権の広範化だとすれば、正統性の基礎を質的に確保するのが、福祉政策でした。軍人恩給や貧困対策から始まり、年金制度や保険制度も開発されました。

国家にとって、国民からの正統性を確保するという機能は、何よりも優先されます。たとえば、世界恐慌期のアメリカは、実質的で大規模な憲法改正を行いました。国民の求めに答えてニューディール政策を実施するために、大統領中心の行政を行えるようにしました。現在ふつうの感覚からすると、アメリカの大統領権限は大きいように思いますが、元々アメリカ大統領は、議会(民意)を抑制するために生まれたもので、権限は少ないです。それでもニューディール期に憲法典を読み替えることで、迅速に大統領中心の行政を行えるようにしました(このとき憲法典を改正することはしなかったため、議会と大統領の協働が崩れた近年では、大統領権限の少なさが顕在化しています)。

sgさんは「拡大」「持続」「庇護」の観点から、国家の機能を説明しました。しかし通常の政治学からすると、「領域内における暴力の独占」と「正統性の確保」という二点から、国家の機能を説明します。

sgさんの挙げたさまざまな機能は、表面的には正しいように見えますが、後ろ側に筋が通っていないように見えたのは、そのせいでした。つまり、「正統性の確保」の具体例として、国民の要求(≒政策課題)に応えることが求められ、結果的に、sgさんの挙げた機能と附合するのです。

ぼくとしては、暗号通貨プラットフォームは「正統性の確保」の部分を、また見ぬ形で塗り替えると考えています。前回の記事で「暴力」を異様に強調したのは、その場所で国家を意識するのは、現実的ではないし、必要がないからです。国家は国家で、使ってやればいいのです。

面白いのは、ここからです。

「正統性の確保」を塗り替えた先には、何があるでしょうか。それは「国家」の本質的な相対化です。つまり、社会契約を自由に行えるようになります(社会契約自体が、別に説明が必要な概念なので、追加します)。

その意味でsgさんの結論には賛成です。「国というものの単位が小さくなる」=「『文化単位で集まった小さく柔軟な国』が今後も増えていくのではないか」=「テクノロジーが国を開始する最小単位を再定義しているのが今後数年なのではないだろうか」。これは、慧眼だと思います。

しかしあくまで、技術が「まず」塗り替えるのは、「正統性の確保」です。ここには、憲法、選挙制度、経済政策、金融政策、貧困対策etc......が含まれます。sgさんの目から見たほうが、塗り替えられるものが見えると思います。ここを塗り替えると、結果的に国家(=社会契約としての)が相対化されます。

ただしsgさんとは違うかもしれませんが、ぼくの見立てでは、現実の国家に適用するのは、まだまだ先だと考えています。インターネット・ネイティブの世界で試したものが、国家の一部として自然と逆輸入されると思っています(とくに暗号通貨&実質現実VR系列で)。だから、インターネット・ネイティブの世界を、どんどん改革していってほしいです。それは結果として、目指すものを早期に実現する近道になると思います。

(面白くなってきたので、つぎの投稿は「共同体としての国家」にします)(「社会契約としての国家」になるかもです)

暗号通貨垢はこちらです。質問反論なんでもどうぞ!

後日談というか、今回のオチ。

予想外だったのですが、ぼくの尊敬する政治学者、待鳥聡史先生と同じ結論に達しました。彼は「責任と委任の連鎖」という形で、政治をみています(『代議制民主主義』)。そう考えると、いま思ったのですが、暗号通貨は、新しい自治ですね(らせん階段を回るように理解が深まっていきます)。公共的な自治です。sgさんのいう「供託」が実現します。そうなると、ここまでの話は必要だったのかな、と思えてきました。ありがとうございました。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。