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怒りの後の悲しみ

電話してもいい? と聞かれて「いいよ、どうしたの」と答えると、スマホが震えた。スマホを耳元に近づけると彼女は言った。

「友達が手首を切った。見つけた両親が救急車を呼んで、親しかったから私にも連絡が来た」

私は怒りをおぼえたんだ──。

彼女は電話でそう言った。友人が死のうとしたのに怒りをおぼえるとは思わなくて、僕は「なんで怒るの」と聞いていた。

「最初は、彼女も相談してくれたらいいのにと思った。落ち込む傾向のある子で、今までも相談に乗ってきていた。でもその子は、私との関係性なんていいんだよ。だから死のうとしたんでしょ。今まで過ごした時間を勝手に捨てようとしたってことだよ」

彼女は張り詰めた声で言った。僕はあいまいにうなずいた。なぜ怒るのかわからなかった。

先輩の友人が死んだ。

仕事をしすぎる人のようだった。「そんな働き方をしていたら早死にするよ」と冗談交じりに言っていたら、現実になってしまったらしい。アラフォー。両親も存命だった。

先輩は友人の思い出を知りたくて、SNSでグループを作った。

「私は出張のため、お通夜に出られません。〇〇さんの思い出を、ここでも共有してくれませんか」

知り合いをたどって、ポツポツと人が集まり、故人の思い出であふれていった。先輩の知らない友人の姿が集まった。

とてもマメに連絡をする人のようだった。「今近くにいるんだけどとメッセージが飛んでくるんだけど、女性は急に言われても会えないとは気が効かない人なのよね」。同じことを他の人にもしていたらしい。周りの女性は彼を気遣って、うまく言い訳をしていたのだろうと思う。「悪気がない人だった」。その不器用さが、周りの人からは愛されていたのかもしれない。

地元の飲み屋で友達だったという人も集まってきた。「彼とは、〇〇の飲み屋で話したことがあるだけだけど」と、いくつかエピソードを話した。

どれも彼のことではあるけれど、先輩から見えていた彼とは違う側面だった。人は相手に応じて違う表面を見せる。相手と触れ合ううち、相手に応じた自分ができてくる。

相手に応じた自分ができるのは、先輩も同じだ。

「私は、死んだ彼に怒りをおぼえたんだ」

なんでですか、と聞いた。先輩は目を開いて僕の目をのぞき込んだ。聞かないとわからないのと言って、先輩は口を閉じた・

僕の友人も死んだ。

お別れの会で周りの人が「いい人だったよね」というたびに、そうだねと言いながら、ほんとは違う、と思った。いい人であろうとして、周りに頼ることができず、一人で物事を抱えて「つらいつらい」と言っていた人だった。

彼女の弱い面を見たのは、出会ってからだいぶ後のことで、それまでずっと「いい人だったよね」と思っていた。表に見せない彼女の裏側に、柔らかい部分があるとは想像もしなかった。知ってからも僕は、どう踏み込んでいいのかわからずに、彼女の横に立とうとしなかった。

彼女が死んで、僕は悲しみよりも先に怒りをおぼえた。

そういうことかと思った。人が死ぬと、その人と果たしていない約束以前の何かが、わだかまりとして胸の内に渦巻く。いつか果たそうと思っていたことが目の前に出てきて、もうそれをできない現実に気づかされる。なんで死んだんだ、まだ何も返せてないじゃないか、ふざけるな。理不尽な怒りが湧いてくるのを感じた。

一通り怒った後、僕は空っぽになった。それを悲しみというのだと、涙が頬を流れるのを感じて知った。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。