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物理現実と情報現実

熱海でVRを体験した。

海に面した高台に、熱海城が構えていて、その地下にゲームセンターがあるのだ。

「お城にゲーセンがあるの?」

半信半疑で地下に足を踏み入れると、開けた空間に筐体が乱雑に置かれていた。なんとゲーム料金は無料。太鼓の達人や、よくあるシューティングゲーム、マリカーのリアルバージョン、UFOキャッチャー、バスケのフリースローをやるやつ、卓球台やホッケー台もあった。

もちろん、筐体の型式は古い。数世代まえのやつだから、太鼓の達人は最近のがカバーされてない。

でも何から何までそろっていて、1ゲームは無料。かかるのは入城料金の1000円だけ。たった1000円で、朝から晩までゲームができる。熱海まできてゲームをしようという人は少ない。だから日曜でも人は満杯にならない……

――神か! 1日遊べるじゃん!

フロアを物色していると、VR体験セット、なるものが置いてあった。

四角い筐体のなかに入って、荷物をロッカーにしまい(筐体にロッカーが付いている!)、ヘッドセットを装着してシートベルトを締め、ゲーム開始。「VRって何なんだろ」とわくわくしながら、ゲームが立ちあがるのを待った。

なんか最近、話題じゃないですか。とりあえずやってみたいじゃないですか……

急に、仮想アイドルのライブの画面が流れた。ほとんど最前列の特等席、触れそうな場所で歌うアイドル、周りで振られるサイリウム……なんだこれ、最高かよ! 思わずうなった。後ろを振りかえると、会場いっぱいに光の波。赤青黄色いろんなサイリウムの光が溶け合っている。

――ああ、これはもう、現実だなぁ

つぶやきながら、ヘッドセットを外してみた。無機質の筐体が目に入った。物理現実のぼくは、固い椅子に座って、両手も伸ばせないくらい狭い場所に閉じ込められているけれど、情報現実のぼくは、ライブ会場で周りのみんなとライブを楽しんでいる……

この体験は、何なんだろう。そう思いながら、ヘッドセットを装着しなおした。

人間が目から得る情報量は、8割を超えるという。そのくらい、ぼくらの「現実感覚」は、視覚に頼っている。

だから視覚をハッキングすれば、人間に「現実感覚」を再現できる。そして、聴覚にも音を流しこむ。座席を揺らせば、触覚の一部を再現できる。

VRは視覚、聴覚、触覚を一緒に再現する。

人間の目からすれば、それはもう「現実」なのだ。ぼくらが普段暮らしている物理現実と同じだ。だってヒトは、現実をそのまま受け取れない。脳内で情報処理して、その世界のなかで暮らしている。VRは、たんにそれを系統立てているに過ぎない。ぼくらの脳内処理自体を、ハックしているに過ぎない。

つまりVRは、肉体が存在する物理現実のほかに、精神が存在する情報現実の世界を作りあげた。どっちが本質的だろうか。人間は、脳内処理した情報で、「現実」を認識する。ぼくとしては、情報現実のほうが、より現実らしいと思う。だって、現実らしさを分解して再構成しなければ、その世界を作りだせないからだ。その過程は、脳内処理を見つめることで成功する。

今後、触覚や嗅覚も、より充実した方向に行く。そうなったとき、人間は「どちらが現実なのか」という問いに直面する。そしてそれは、ナンセンスな問いであることに気づく。

気づいていると思うけど、ぼくは現実という言葉を遣わなくなった。物理現実と情報現実という言葉を遣っている。どちらも、人間にとっては、現実である。情報現実を「仮想現実」と訳すのはありえない。バーチャル・リアリティとは、実質現実だからだ。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。