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ソーシャル・スケーラビリティとは何か。

2019年3月27日、ethereum「plasma chamber」開発者の落合渉悟さんが、Litigable Protocolsを発表した。

この余波は大きく、ジャーナリストの星暁雄さんによって記事にされ、「落合提案」と名付けられた。落合提案については、その視野の広さと視座の高さから他にも解説記事が生まれ、Twitter上でも議論が続いている。

ただし、「ソーシャル・スケーラビリティ(social scalability)についての理解が足りないのではないか」と思われる議論も見られた。ブロックチェーン自体の理解にもかかわるから、できるだけ正確に理解しておきたい。

この記事では、落合提案を理解するために必要なソーシャル・スケーラビリティについてまとめる。

ソーシャル・スケーラビリティ(social scalability)とは、人間に存在する制限を克服できる「制度」の力である。

2018年の中ごろ、Nick Szabo氏が詳細に考察している

Social scalability is the ability of an institution –- a relationship or shared endeavor, in which multiple people repeatedly participate, and featuring customs, rules, or other features which constrain or motivate participants’ behaviors -- to overcome shortcomings in human minds and in the motivating or constraining aspects of said institution that limit who or how many can successfully participate.

これに続いて、以下の文章も理解を促進するだろう。

Social scalability is about the ways and extents to which participants can think about and respond to institutions and fellow participants as the variety and numbers of participants in those institutions or relationships grow. It's about human limitations, not about technological limitations or physical resource constraints.

ソーシャル・スケーラビリティとは、テクノロジーの問題ではなく、人間の問題を解決するものである。

たとえば、普段遣っている「言葉」を思い浮かべてほしい。言葉がない時代にはどうやって意思疎通をしたのだろうか。言葉(言語)が生まれたことによって、複雑な事象を記述でき、記憶の承継が簡単になり、他者と概念を共有できるようになった。

言葉とは、「記号」である。記号がなければ、我々は現在の社会を営むことはできない。

同じようなものは、ほかにもある。法律がなければ、社会生活における摩擦は無視できない量になるだろう。政治制度がなければ、何億人もの人間を統治することはできないだろう。貨幣がなければ、何百兆円にもおよぶ経済を測ることはできないだろう。インターネットがなければ、遠隔の人とやりとりする労力が跳ね上がるはずだ。電気がない世界なんて、想像することさえできない。

これらすべて、ソーシャル・スケーラビリティを上げる技術・制度である。

そして現在、我々はソーシャル・スケーラビリティをより一層進めるであろう技術革新に直面している。ブロックチェーンやXR、AIである。

落合提案は、ブロックチェーンのもたらすソーシャル・スケーラビリティを、既存社会にとって受け入れ可能なものにする提案である。つまり、ソーシャル・アクセプタビリティ(social acceptablity)を上げる提案だ。

それは、既存社会の法律システムを「明確な形で」plasmaに組み込むことによって成立する。

現在のブロックチェーン・プロトコルは、責任主体を明示しない。ブロックチェーンの人間にとっては、それがトラストレスであり、存在価値になっているからだ。

しかし、人的な責任主体が存在しないことは、「現在の社会にとっては」、非常に問題になる。そういった社会制度を、もっていないからだ。落合提案は、plasmaの管理者をlegal representativeとして設定することで、既存社会に適合的にした。

落合提案の意義は、ソーシャル・アクセプタビリティを上げることと、ブロックチェーンのソーシャル・スケーラビリティを毀損しないことを、アクロバティックに両立させたところにある。

後日談というか、本質的な話。

注意したいのは、ソーシャル・スケーラビリティとソーシャル・アクセプタビリティでは、「ソーシャル」の定義に齟齬があることだ。

前者の意味するソーシャルは、人類である。後者の意味するソーシャルは、日本語で普通にいう社会をさす。コミュニティと言ったほうが正しいかもしれない。

ソーシャル・アクセプタビリティは、価値観を内在する概念である。集団内での価値観は、それぞれで違う。「自動車よりも馬車のほうが早い。使い物にならん」という集団もあれば、「自動車は革新的な技術だ。いずれ馬車より早くなる。試しに使ってみよう」という集団もある。それぞれの集団で、自動車のソーシャル・アクセプタビリティは異なる。ブロックチェーン分野でも、同じことが起きている。

一方で、ソーシャル・スケーラビリティは、人類共通に作用する。価値観にとらわれない概念である。このふたつは、ぜひ区別して議論したい。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。