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古流と居合

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古流の身体操法について書きます。身体を観察する、ということ。
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2019年1月の記事一覧

肩が消えた

昨日、肩がスコーンと消え去った。 ほんの数瞬前まで、そこにあった肩が、きれいになくなった。 「俺は肩だぞ!」と主張していた筋肉のこわばりや骨のゴツゴツ感が消え去ったのである。内部の身体感覚として、肩の存在を捉えられなかった。 もちろん、物理的になくなったわけではない。触ってみると、肩の部分にちゃんと肩はある。異常にやわらかくて、いつもの肩ではなかったけれど。骨があることを確認しなければ、肩だとは気づけない。 急いで感触を確認した。肩から先の骨が抜けて、腕はゴムのようだ

外的な要求と、内的な要求。

外的に要求されることと、内的に要求されることは違う。 たとえば腕立て伏せをするときに、筋トレの知識がない状態で行うとする。すると、両手を地面につけて肘を曲げ伸ばししても、筋トレの意味で「腕立て伏せ」にはならない場合が多い。正しいフォームをまねしているつもりでも、どこか違う。できているけど違うのだ。 その違和感は、正しいフォームに隠された内的な論理を身に着けることで解消される。意図する箇所に刺激を与えられるようになり、腕立て伏せの応用編もできるようになる。そうしてようやく、