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『おしいれのぼうけん (ふるた たるひ、たばた せいいち)』【読書ログ#29】

藤子不二雄Ⓐの「忍者ハットリくん」に出てくる忍者達(と犬)は、風呂敷の四隅のうち二箇所を足の指にはさみ、残り二箇所を両手で持つことで空を飛ぶ。

(「忍者ハットリくん 風呂敷」で検索すると正しく理解出来る)

私は、和室の押入れの上の天袋に潜むのが大好きだった。ひとしきり秘密基地的に天袋を楽しむと、そこからバスタオルを足と手に固定し飛び降りていた。

もちろん、忍者ハットリくんの真似をしてのことだ。私は3歳から8歳まで真剣に忍者修行をしていた。

あの頃は部屋を自在に滑空しているような気分だったのだと思うが、傍から見たら変な格好をした子供が自由落下をしているだけだったろう。天袋から転落しているだけ。よく怪我をしなかった。

そういえば<服部>の「部」の字は、音が割り当てられていないと聞いた事がある。「服」で「はっとり」と読み「部」は書いてあるだけで音が無いそうな。本当かな。なんでそうなった。

怪我といえば、私が小学生の頃は、学校に行くと誰かしら怪我をして包帯を巻いたり腕を釣っていたし、冬休みがあけると学校で2,3人は松葉杖をついていた。札幌っ子は冬休みは雪山で過ごすのだが、何人かは雪山で転んで骨を折るのだ。

私が小学生の頃はスクールウォーズの時代なので、教師もひどいもので、足にギブスを巻いて松葉杖で登校してきた生徒を「のろま!」といって後ろから頭を叩いていた。

当時の教師たちは本当に酷い人が多かった。私の担任だったK先生は常に細い竹のムチを携帯し、気に入らない生徒を見つけると後ろから殴っていた。ちょっとした狂気だった。

この先生は本当に怖くて、授業で教科書をわすれると「両手!」と叫ぶ。それを聞いた生徒は条件反射で両手を机の上に開いて目をぎゅっとつむる。そうすると、間髪いれず、その両手を竹のムチでビシっと叩く。これがものすごく痛かった。

これをやられると、両手の甲に赤いミミズ腫れが一本走る。その頃は親も誰も問題にしなかったが、今だったら罰金1万円か無期懲役だ。

当然生徒にはおおいに嫌われていた。冬の雪深い日など、校門で教師の車がスタックすると、生徒がわらわら集まってきて後ろから押したりしたものだが、K先生の車は誰も助けない。そのうえ、逆に雪玉で攻撃をされていた。怒りでワイパーを最大速度で動かすものだから、それがまたおかしくて雪やらつららやらを投げられていた。

ある日など、排気マフラーに雪をギチギチに詰め込まれ、エンジンがかからなくなっていた。K先生はカンカンに怒っていたが、不思議と学校では問題にならなかった。

幼い前田少年は、それをみて、教師へのお仕置きは車にしてやれば良いのだなと学んだ。

「おしいれのぼうけん」は、お仕置きで<おしいれ>に放り込まれる子供の話だが、読み書かせをしていると、3歳の次女が、自分が通う保育園には押し入れはない。という。

悪いことをしたら、どんな<おしおき>をされるのかと聞いたら、そんな事はされないという。

もう<おしおき>はないのだ。時代が変わってしまって、ちょっとリアリティがなくなってしまった。

だが、今の子は与えられているコンテンツが多彩で量も多いので、ちょっと賢い。絵本の内容から、押し入れは怖いところだと理解し、想像の世界で暗闇の恐怖に打ち勝ち、その勇気を見て、皆が恐れていた押入れが、逆に楽しい場所に変化した。ということは理解出来ている。すごいな我が娘。

絵本の中の<みずのせんせい>は、恐怖でしつけを行うが、それは誤りだったと気が付き、反省をする。子供達は押入れの中で想像力で恐怖と戦うのだが、<みずのせんせい>は、良心の呵責と戦う。<みずのせんせい>も<おしいれ>から大切なものを学んだ。

私達の世代は、子供の頃に暴力でしつけられた人も多いと思うが。そういう方が親となったとき、同じ過ちを侵さないためにも、この絵本で子供と一緒に学ぶと良い。

昔、酒を飲んでいるときにこの絵本の話になった事がある。そのときに同席していた男性が<みずのせんせい>にムラムラしたと告白をしてきたときはリアクションに困った。

「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。