見出し画像

『みかんのむきかた』【読書ログ#102】

『みかんのむきかた』(岡田 好弘 (著), 神谷 圭介 (イラスト))

給食の時間、一緒に食べていたご学友から「ミカンを一口で食べられるか」と問われ、そんなのは簡単だと、皮をむいたミカンをひょいと丸ごと口に入れた。

だけど、小学生の口には思いのほかミカンは大きく、唇が閉じない。笑顔が張り付いたような顔で口からミカンが覗いている。

そんな私をみてまわりは大爆笑。自分も可笑しくなっちゃって、笑いたいのだけど、口のなかがミカンでいっぱいで「んぐぐぐぐぐ」としか声が出ない状態で笑うので、周りはさらに面白くなっちゃって大変な事に。

このままでは手詰まりなのだけど、口から出すとヨダレだらけになりそうで汚い。それに、諦めるのは悔しい。そこで、口の中のミカンを少しずつ潰して、出てくる果汁を飲んでいけば良いと考えた。

しかし、悪手だった。グッと顎に力をいれて少し潰してみると、溢れた汁は次々と開いた口からこぼれていく。死んだ目をして、口元はいびつに笑いながら汁をたらし「んふがぐぐぐ」と音出す私をみて、オーディエンスの昂奮は最高潮に。

そんな観衆を前に私のボルテージも上がりっぱなし、とうとう笑いがこらえきれず大笑いをして、ミカンを吹き出してしまった。

ミカンの汁を被ったM君は大絶叫。周りは大爆笑。あまりの騒ぎに駆け付けたK先生は惨状を目にし、とりあえず私とM君の頭を大いに殴る。ショーは終了だ。

M君は完全にとばっちりだったのだが、何故か僕に謝っていた。一緒に床と机の掃除もしてくれた。いい奴だった。

ミカンの季節である。この季節になると、必ずこのエピソードを思い出す。これがトラウマ? 今日もミカンの皮を剥きながらM君とK先生を思い出していた。

さて、本の紹介です。みかんの外皮でアートしようぜ、という、児童書に見せかけた大人をたぶらかす絵本です。ヴィレッジヴァンガードとかで冬になったら並びそうなやつ。ノリだけで買い求め、あとで困るタイプのやつ。

でも、ところがどっこい、掲載されている「さる」を作ってみたら、ものすごく面白かった。

画像3

子供と一緒にワイワイやっていたからだとは思うけど、意外に楽しかった。

身近なもので、しかも捨ててしまうもので創作をするというのが、妙に新鮮で楽しかった。

思えば、この世に生を受け44年、私は、ミカンの外皮を剥くにあたって、一切こだわりを持たずに生きてきた。しいて言えば、ヘタから剥く事にしている。それくらいだ。

それに、どちらかというと外皮を剥いた後の白い繊維をいかにきれいに掃除するかに心血を注ぐタイプだった。

いつか皆様にもお見せしたいが、私は白いアレを取るのがうまい。コツがある。テクニックもある。あれは爪をつかってチマチマと外すのは良い方法とはいえない。大抵の人は、中心の太い白いアレの端を爪でめくりあげ、めくりあがった部分を爪でそっと持ち上げ、あとは野となれ山となれの運任せで外していく。だが、その方法だと、細くしっかり張り付いた白いアレは、なかなか取れないし、無理をすると果汁が滲みてしまう。ミカンの各肉と果肉の間にある、縁取りをしているかのような白いアレも、この方法では取りにくい。では、どうしたらよいのか。実は、あの白いアレは、横方向からの力を入れることですぐに外れるのだ。黄色い皮を剥いたら、ヘタ部分と尻部分の固まった部分を爪でブチっとちぎり抜き、両手で包み込むように持ち、泥団子を丸める時の要領で、手の中でぐりぐりと回せばよい、そうすると、8割~9割は外れるか浮き上がってくる。あとはもう、少し掃除をすれば完成だ。普段だったら、そこでもう満足して頂きますとなる。だが、たまに、全部取りたいとなるときがある。ツルツルにしたいときがある。ツルツルにして、やわらかくて肌触りのよいミカンにしたくなる。その場合の白いアレ取りは、もう、ケースバイケースだ。根気と粘りの世界になる。だが、そこまで頑張っても手のぬくもりが伝わった温いミカンになるだけなので、あまり突き詰める必要はないと私は考えている。

そう、外皮に興味はないんです。乾かして天ぷらにしたり、風呂に入れたりする人も居ると聞くが、私は、たちまち捨てる。なので、それで遊んでしまおうという心意気に歓心し、関心し、感心した。

あと、一応ストーリーがある。これをみた二女は絵本なのだと納得し、寝る時の読み聞かせとしてせがまれた。

画像2

妹も出てきてちょいどいい。

画像1

とはならない。

読み聞かせには向きませんでした。

さる、へび、くまあたりは手剥きでもいける。

「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。