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『風の海 迷宮の岸 十二国記 2』(小野不由美)【読書ログ#150】

人の名前を覚えるのが苦手です。小説を読んでいても、現実でも(困る)。

海外の文学だと、だいたいカタカナ表記になるので、とりあえず頭の中で音読をすれば定着していくし、あれ? こいつだれだっけ? というときは、巻頭の人物一覧を見たら良い。あれは便利。すべての作品に義務付けてほしい。

しかし、海外は海外でも中国人が出てくると話が変わる。だって、中国人だけは現地語で名前が表記されるんですもの。

似たような字を使うよしみのつもりか、何故か中国人の名前だけは現地の漢字がつかわれるのだけど、これが読めない。読めるんだけど、よめない。

小説以外にも、ニュースでも同じで、中国人の時だけ漢字だ。

例えば「習近平」という人が居たとて。彼は拼音で記載すると「Xí Jìnpíng」さんだ。カタカナにすると「シー・チンピン」さん。だのに、なぜか「しゅうきんぺい」と日本の音読みで呼ぶ。これ、なんでだろう。どういう経緯でこうなったのかしら?

普通にカタカナで「シー・チンピン」で良いと思うのだけど。もしくは、漢字で書いて後ろにかっこ書きで読みを入れて「習近平(シー・チンピン)」とかね。

だって、映画だとカタカナになるじゃないですか。陳港生さんはジャッキー・チェンだし、李連杰さんはジェット・リーだ。

だのに、小説では漢字だけの表記だし、ルビは最初に登場したときだけ。

ただでさえ名前が覚えられないのに、ルビが降られるのが1度だけとか、もう絶対無理なんですよ。ということで、何度もルビが降られていたページに戻って、そうか「汪淼」は「ワンミャオ」か! なんて確認を何度も何度も繰り返し、やっと覚えたよとなったら小説は終わっていた。なんてことはざら。

あまりにも同じことを繰り返すので、最近は栞に人物の読み仮名メモをどんどん書くようにしている。

三体を読んだ時は、登場人物が9割9分9厘中国人なので、ずいぶんと苦労をしたけど、あれは独立した紙で人物表が付録されていたので、かなり助かった。

今読んでいる十二国記シリーズも、中国の文化が色濃く反映された世界観で、登場人物の名前は漢字に中国読みという事も多い。妙に使い慣れない漢字も多用されている。

だのに、なぜか、読みやすい。十二国記、よみやすい。

最初は「あ、俺様ったら年を取って物覚えが悪くなっているのに、名前を覚えるのだけは上手になったのかしら?」なんて思うのだけど、他の作品を読んでいると、以前以上に物覚えが悪くなっているので、そんなことは無いのだ。

十二国記が読みやすい理由は、ルビだった。

なんと、章がかわるたびに、登場人物は主役級だろうかわき役だろうが、主要な人物であれば登場のたびにルビが振られる。凄い、便利。うっかり毎回読み方をわすれても、章の頭に戻るだけで良い!

この仕組みのおかげで、十二国記はとても読みやすい。素晴らしい。

『風の海 迷宮の岸 十二国記 2』(小野不由美)

ということで、シリーズ二作目にとりかかる。

今回の作品は、最新作に繋がる物語なので重要なのだ、とか。

『魔性の子』という、こちらの世界を舞台にした作品があり、それとも密接にかかわっているので重要なのだ、とか。

十二国記の世界では、天は国を作り、天は麒麟を作った。麒麟は天啓を受け王を選ぶ。本シリーズの重要な設定の一つだ。

国には天が選んだ一人の王が君臨するのだけど、その王は、一つの国に1匹(?)しか存在しない麒麟が見つけなくてはならない。

麒麟は生まれると、生まれた山で女仙と女怪に育てられ、麒麟として必要な資質を学び成長する。そして、やがて王を見出す。

本作の主人公である泰麒は、泰国の麒麟だ。麒麟は生まれ落ちる前に、虚海を挟んだ先にある異世界、日本にながされてしまう。10年もの間、麒麟は日本で少年として過ごす事になった。そして、他の国の麒麟の助けもあり、泰麒は無事「こちらの世界」に連れ戻される。しかし、普通の人間の子供として育てられた泰麒は、麒麟の能力が一切つかえなくなっていた。

自分は麒麟の出来損ないだと悩む泰麒だが……

読者もいっしょになって泰麒の成長を見守るような小説。自分が存在する意味を知り、自分が持つ能力を知り、泰麒は成長していく、その過程に何度も何度も感情の開放が訪れる。

読むにつれ登場人物に感情が移り、こうあって欲しい! と願う。そして、その願いはすべて叶う。なんて気持ちの良い物語なんでしょう。都合が良い? 予定調和? こんなに上手にやられたら、すなおに楽しむしかないでしょう。ねぇ。

このあとに『魔性の子』を読んだら良いのかな?

「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。