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大人の絵本『魔女 (1)』【読書ログ#103】

『魔女(1)』(五十嵐大介)

まだ子供が小さいので、絵本を一緒に読むことが多い。通っている幼稚園が毎月1冊新しい絵本を配布してくれるのだけど、年少向けなので、言葉の簡単なものが多い。

どちらかというと、絵や(読み聞かせで声に出す)音で感情や気持ちを揺り起こすような内容。玉石混交なんだけど、沢山の絵本に触れる機会になっていて好ましい。

絵本を繰り返し読むと、心にスイッチが出来る。そのスイッチが何かの拍子で押されると、パーっと絵本で得た情景が浮かぶ。

子どもには、こういったスイッチを沢山作ってあげたい。気持ちの良いお話で、頭にたくさんのスイッチを作ってあげたい。

私の頭の中にもスイッチがたくさんある。そういえば、作品名を思い出せないのだけど、私が子どものころに読んでいた絵本に、常にカメラ目線な豚の親子の絵本があった。

いや、別にカメラ目線ってわけではないのかもしれないけど、進行方向は一切見ていなくて、常にこちらを見ている。首がまっすぐにならないの。

その豚の親子は、船に乗ったり自転車に乗ったりして、色々な動物たちに迷惑をかけていく。

あれはなんて作品だったのだろう。迷惑なことに無自覚な人が身の回りに現れると、あの豚の親子を思い出して、ああ見えていないんじゃしょうがないとなるし、豚の親子のすっとぼけた顔が浮かんできて可笑しくなる。

友人が激賞するので五十嵐大介の『魔女』を読んだのだけど、絵本のようだなと感じた。大人の絵本。

魔女をテーマにした連作で、イスタンブールっぽいところと、南米っぽいところと、北欧かどこかの夏の気候のよさそうなところが舞台。すべて同じ世界観の話のように感じる。

まず、絵に圧倒され、次に、話に引き込まれる。

シャーマニズムとアニミズムが融合したような世界で、人を超越した力を操る魔女達の生き方を、圧倒的な絵で淡々と見せてくる。

読んだところで、何かを得るといったことはない。

読んだところで、何か知ったような感じになることもない。

絵本に直接的な意味を求めても仕方の無いことに似ている。

何を感じるか、何かを感じたか、この漫画の面白さがあるとするなら、読んだ人すべてが違う感想を持つのだろうなという点か。

心の可塑性が失われていないのであれば、何かしらの印象を心に残し、スイッチを作ってくれるのだろう。そのスイッチは何がきっかけで踏まれるのか、想像がつかないけど。

中二とかで読んでしまうと、こじらせてしまいそう。それくらい、絵の力が強い。

コミック形式ではなくて、もうちょっと大きくて紙質の良い印刷にしたらいいのにな。

「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。