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ここまでの私のお金の流れについて書いてみる

子供の頃、両親がお金にこだわる姿を見て育ったせいか、彼らを反面教師とし、私は「お金にしばられないで生きたい」と常々思っていました。

あればあるだけ使っちゃうし、なければないでなんとかなる。

高校生の頃からコンビニでバイトし、自分で飲み代稼いでました。笑

例の写真仲間は当時の飲み仲間。高校生で飲み会、コンパと、大学でやることやっちゃったので、片親だったし、かじる親のスネもなかったのと、社会に出て働きたかったので、進学する気は全くなかったです。

卒業後は、京都で着物の金彩の絵付け、白樺湖の遊園地で切符切り、広島がんねムーンビーチのオープン作業、北海道競馬で厩務員、石垣島のダイビングショップの店番、東京でスタイリストのアシスタント、派遣で東京住友商事で貿易実務、仙台でカメラマンアシスタント〜などなど、いろんなバイトをしながら、日本を点々としてました。

で、5年の東京暮らしの後、仙台に戻ったのだけど。
バブリーな派遣社員だった時の感覚が抜けず、クレカのキャッシングにはまって、100万円の借金が。ひぇ〜。

さすがにやばいかな?また、東京に出稼ぎに行こうかな?と思ったら、すでにバブル崩壊済みみたいで、当時みたいな好条件の仕事がみつからない。

何をやっても長続きしないし、私このまま一生プー太郎なんだろうか?プチウツ状態だった27歳。

そんなある日「最後に生き残れるところがあるとしたら沖縄しかない」と啓示が降りて来たのです。

「オキナワ、そうだ、沖縄に行こう!」

当時乗ってたホンダレブル250cc に積めるだけの荷物を積んで、沖縄に向かった1992年夏。

電話の権利や本、レコードなどを売って、なんとか手にした5万円を握りしめ、東京有明からフェリーに乗ったのでした。

で、仕事と住むところを探しながら沖縄を走るなか、琉球ガラス工芸の第一人者稲嶺盛吉氏との運命的な出逢いとなったのでした。

と、なんだか、プロローグだけで、長くなっちゃったので、以降、簡潔に。笑

いろいろあって、29歳で独立することにしたのだけれど、100万円の借金は返済済みだけど、貯金なんてほとんどない。

そこで思いついたのが「独立企画書」を友人知人に送りまくって投資してもらうこと。一口5万円で、年に何度かガラスや沖縄の名産を利息代わりに送ります!という特典付き。

これで、300万円集まったので、それを資金として「glass studi 游」設立。

5年後、いろいろあって、海外移住を決意。

2000年8月取引先に「工房閉めます」ファックスを送ったら、ありがたいことにわんさと注文が入り、あっという間に1000万円の郵貯の上限超え。

超えちゃった分は母にあげました。笑

で、波を求めて世界中を旅する予定が飛行機からみたスナッパーのラインナップに一目惚れし着陸前に「ここに住む!」と決意。

日本語通訳付きの弁護士さんに相談したら沖縄での実績で4年の事業主ビザが取れる!ってことで、辞めたはずのガラス屋に復帰。

工房作るのに自宅の改装が必要=>借家では無理ってことで予算の範囲で買えるお家を探したら、大好きなキングスクリフエリアにビーチハウスみたいなかわいいお家が700万円。
これだ!と即決。


詳しく覚えてないけど、家700万円、弁護士費用100万円、窯費用100万円、生活費100万円って感じで、貯金はなくなっちゃったけど、なんとか、吹き始めることができ、昔の取引先からも注文が来て、サーフィンしながらガラスをなりわいとする夢のような暮らし。

☆ 市販の物置で作ったミニ工房。地元友人にあんたは自分を溶かしてる!と言われるほど暑かったです。😅

☆ 日本が夏、オーストラリアが冬の3ヶ月だけ吹いて残りの9ヶ月は原料の空き瓶集めとサーフィン三昧!

で、3年後、いよいよビザ切れるし、永住権に切り替えようかな?と準備を始めるも。

え?法律変わった?
どんなにがんばっても、永住権、取れない?

しゃぁない、また、移住先、探すか〜と、まずは、沖縄時代の友達がバリでサーフキャンプ始めた!というので、全く予定になかったバリに寄り。

数ヶ月を過ごした後、ずっと気になってたスリランカに行くも。

例の2004年スマトラ大地震の津波体験となり、スリランカが大好きになり。
ビザのタイムアウト間際となって、とりあえず、バリ移住。

当時オーストラリアは不動産バブリーな時期で、700万円で買ったお家は、3倍の2000万円くらいで売れ。

沖縄の土地を売った1300万円もあったので、所持金なんだかんだと4000万円近く。

おっしゃ、これで、念願の海の前の土地を買って、ゲストハウスを作るぞ〜と萌えるもバリは土地だけで、すでに何千万円の世界。

再度スリランカに渡るも、アルガンベイの波がイマイチで年間を通して考えると波足らず。

あ〜どこに住もう。そんなある日、バリの喧噪に疲れ果て、そうだロンボクに行こう〜と初ロンボク。

うわ〜なんだろ〜ここ、すごく気持ちいい。
ロンボクのプリミティブな魅力にこれまた一目惚れ。
何と言っても、サーフポイントがまだ、ガラガラで、波質も最高。

ここだ!と土地を探してもらったら、なんと、1are (10mx10m) が 3 juta (3万円弱)

おっしゃ〜と200万円くらいで念願の海の前の土地(というか当時はただのビーチだった)を購入。

1000万円くらいで宿作って、残りはオーストラリアの銀行の利息でのんびりサーフィン三昧だぁ〜と皮算用するも。

インドネシアあるある!で、完成する頃には、4000万円近くあった貯金がほぼなくなってました。ひぇ〜。

まあ、でも、当時、グルプックには宿がなかったので。
リピーターさんもたくさんついて、経営的には問題なかったのだけど。

なにぶん、お金の計算苦手、人雇うの苦手〜な人なので「ゲストやスタッフにとって楽園でも経営者としての私にとっては楽園ではないのだ」「次は私の楽園作りたい」ってことで売却を決意。
8Mで売れたけど、4Mは間に入った人の取り分で私は、4M。
2Mは、スタッフと分けて、私の取り分、2M。(約2000万円)

1Mで、スンバルンの1ヘクタールの農地を買って、500万円は、定期預金。
車買ったり、お家建てたりで、手持ちは、100万円くらいだったかな?

それでも、定期の利息がかなりつくので、仕事しないでも、余裕で暮らせるはずだったのだが。

例のアワン君の魔法にかかって、あっという間に、定期を含む貯金がなくなり。

一体どうやって、わずか1年で500万円使いきるんだ?ではありますが。😅

結果、スンバルンの土地を売りに出すことになったのでした。

で、800万円くらいで買った当時、すでにかなりぼったくられてたのですが。
その後、スンバルンの土地の相場が上がったおかげで、なんとか、買った値段くらいで売ることができ。

サジャン地区にすんごく安い土地の話しが来て、ノリで、二つ購入(300万円くらい)。

それでも、500万円くらい残るはずが、これまた、なんか解んないうちに、残金0になり。

アワンに貸してた100万円をあげたトラックを売って返してもらうことにしたけど、90万しか戻ってこず。

まあ、とりあえずの生活費にはなんとかなるので、残金、いいわ!ってことで、アワンとの貸し借りもチャラになり、やっと身軽になった感じ。

で、これまた、ふと気づくと、あれ〜あと、一回シンガポールにビザ更新に行ったら、貯金なくなっちゃうかも?って感じなんだけど。

とりあえず、サジャンの土地を売りに出し始めたし。
有料メルマガとかノートとか始めたので。

引き続き、お金が必要な世界なら、どっかから入ってくるだろうし。
一気にお金のいらない世界に突入したらそれはそれでオッケーってことで、

やはり、上の去年の予告通り。
2年以内にはビザやお金のいらない世界になりそうな予感満々でありまする。

いや〜春分も間近ってことで、いよいよですね。
どこまで動くか、超楽しみです。^o^