今此処でスーザン・ソンタグに再会する (6)

[こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年12月配信分。]

スーザン・ソンタグは代表作『写真論』 (1977年) から24年後の2001年、オックスフォードで行った『戦争と写真』という講演の最後で次のように語っている。

「映像という形態で何かを見る。それを契機として、観察、学習、傾注が始まる。写真が私たちに代わって道義的、知的な仕事をするわけにはいかない。だが、私たちが私たちの道を歩き始める契機にはなるのだ。」 (『戦争と写真―アムネスティ講演』、木幡和枝訳『この時代に想う テロへの眼差し』所収、NTT出版、2002年、196 ページ)

その後2003年に書かれた『他者の苦痛へのまなざし』では映像メディアによる戦争報道についてさらに論を展開している。

「同情を感じるかぎりにおいて、われわれは苦しみを引き起こしたものの共犯者ではないと感じる。われわれの同情は、われわれの無力と同時に、われわれの無罪を主張する。そのかぎりにおいて、それは (われわれの善意にもかかわらず) たとえ当然ではあっても、無責任な反応である。戦争や殺人の政治学にとりかこまれている人々に同情するかわりに、彼らの苦しみが存在するその同じ地図の上にわれわれの特権が存在し、或る人々の富が他の人々の貧困を意味しているように、われわれの特権が彼らの苦しみに連関しているのかもしれない―われわれが想像したくないような仕方で―という洞察こそが課題であり、心をかき乱す苦痛の映像はそのための導火線にすぎない。」 (北條文緒訳、みすず書房、2003年、101-102ページ)

それが映像を通してでも文字を通してであっても、あるいは音声を通してでも、新しい知識を得るたび、私たちは無反応ではいられないと感じる。ただ得られた知識を元に、想像を膨らませるのは怖くて、考えるのは面倒だから、行動以前に思考を停止する、こともある。一時的に、たとえば数年だとか数十年の間置いておいても、たいていのことは困らないだろう。そのうちいつか困ることがあったとしても。

スーザン・ソンタグなんて読まなくても構わないのだ。別に。どこの誰が苦しんでいようと構わないのだ。別に。どうでもいいのだ、何もかも。私が同性愛者だと誰かには言わなくてもいいのだ。デモなんかしなくてもいいし、パレードもなくていいのだ。署名も集めなくてもいいし、選挙権もいらないのだ。おいしいものも食べられなくていいし、どんな服を着せられてもいいのだ。いずれみんな死んでしまうのだから。それでもまだこの瞬間は生きている。たぶん次の瞬間も生きている。そしてその次も。どんなに悲惨でもどんなに素晴らしくても、それでも人生はあともう少し、続いてしまう。私の人生も、ニュースで報道される誰かの人生も、報道されることのない誰かの人生も。じゃあ、どうしたい? 何をしたい? 

物書きはシニカルに、斜に構えていてはいけない。シリアスで、真剣でなければならない。ソンタグらしさは何よりその態度にあると思う。これは彼女が長い間ガンと付き合ってきて、いつも死を意識していたせいかもしれない。戦争や病に死を意識させられ、痛みを感じながら、シニカルにならずに今を生きるということはエネルギーのいる面倒なことだ。

現実の彼女には、真剣に仕事として語ったり書いたりしたこととともに、真剣にあるいは思考停止を余儀なくされながら、抱えていた生があったと思う。今此処で、2011年3月以降の私たちが日本語で出会えるスーザン・ソンタグはあくまでも公に開かれたごく一部にすぎない。それも翻訳されたもの。だからスーザン・ソンタグの日本語翻訳を読む人は、翻訳者がセクシュアリティや同性愛者の文化についての知識がないせいで訳し間違えていることに注意をしながら読むこと。読み手も書き手も、みんな生粋の異性愛者 (なんて人はいないけど) だと思いこむと痛い目に遭う。

スーザン・ソンタグなる人が生きた同時代の続きを私たちは生きていて、別にスーザン・ソンタグなる作家の文章を読むことがなくても私たちは生きていけるけれども、もし読んでしまったら、それを契機としたい。何かしらの。今を此処で生きる私の。

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ジャニス・チェリー
日本生まれ、超個人主義な文化育ち、2003年より神奈川県川崎市在住。呼吸するようにフェミニズムとレズビアン・アートについて思考したい。時々フェミニズムやクイア・スタディーズの勉強会などやっています。http://selfishprotein.net/cherryj/indexj.shtml

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