【親と自分の一人二役】この世界はゲームじゃなくて舞台だ

この世界は舞台だ。ゲームみたいに最初からやり直しもセーブロードもできない。舞台は何度も演じるチャンスがあってもいつでもどこでも何度でも一度きり。

この世界をゲームと捉える人もいるけれど、私は舞台だと思う。ゲームもある意味では舞台で、私達にとっては舞台の練習場だ。でも登場人物にとっては常に本番だ。私達もゲームから戻ればいつでも舞台の本番だ。後戻りはできない。

数秘術のボトルで私の名前と生年月日からは女優のボトルが使われている。ああほんとうにそのとおり。

親が演じていた役。
親が私に演じさせていた役。
 出来損ないの子供(母親の子供時代)や親(母親の両親)。
親がだれかに演じされられていた役。
私が親から受け継いでいた役。
私がずっと私だと思って演じていた役。

最初は親から押し付けられた役を気づかずに親からの教えとして演じ続けていた。だからみんな私に、出来損ないの親や出来損ないの子供(自分)を求める。

だから私はシナリオに惹かれるのかもしれない。
シナリオは舞台の核で、演者はそれを引き立たせる役だし。シナリオが演者の魅力を引き出す。
没入感。自分が誰だかわからなくなる。同調(シンクロ)。どれが役でどれが自分だったか混ざりあって取り出せない。

役を演じていると気づくまで役だったことに気づかない。だから役を演じることをやめられなくなる。死ぬまでやめられずに死んでいくこともある。

この世界で一番怖いのは自分だ。
最初は親だったかもしれない。でも親から教えられた役をずっと演じ続けていたのは私自身だった。
自分を殺す役なら自分を殺すことも躊躇なくなるし、他人を憎む役ならためらわずに他人を憎んで果ては殺すことも役だからなんの抵抗もなくなる。

自分が一番怖い。他人なんて怖くない。
自分が演じてしまうのが一番怖い。自分が親と私のふたつの人物をひとりで演じわけて、親そっくりの私に親から仕打ちを受けてきた私を演じていた。そうだと気づかなかった。

一番怖いのは自分だ。

だからあまり知らない人と関わるのはイヤ。なにを演じさせられてしまうか、演じてしまうか、わからない。
相手がなにを演じてほしいかわかってしまうし、なにを望んでなにを嫌がるかもわかる。だからつい親のときと同じように演じてしまって疲れる。かなり気を張っていないと持っていかれる。ただ、役を演じていたんだって気づいたら影響されにくくなっていくみたい。

好き好んで女優になろうとする気持ちがわからない。でも舞台を作ったり演出するのは好き。だからゲームが好きだった。何度もやり直せるし、何度も演じ直せる。失敗してもまたゲームはやり直せば演じ直せていいよね。

巫女体質なんて生まれつき多重人格だし、生まれつきの女優だ。非物質的アンテナや触媒として感度が高いっていう意味で、性別関係なく、’女優’だ。そんなのがリアル世界の舞台なんてあがる仕事についたらちょっとどうなるか怖くて想像できない。たぶん気が狂う。

私はさらに特殊なのか自分がどれかも生まれつきわからない。正反対の性質がいつも同居したりときどき大喧嘩してやっと抑えていたものを出せている感じ。
いや、ふたつなのかな?それすらもうわからん。こだわっていてもしょうがんない。まじでわからんもん。

それでうまくやってきているんならいいよねー。だけどときどき、幼少期に私のそれが気に食わないからと、親から抑えつけられて出せなかった本質がでてきて、なかなかどうして親を演じている自分や親に怒られたくない自分とが抑えつけてしまっていたりする。

私に特定の人格だけを演じるなんてムリムリ。みんなそれを自分だっていいたがるけれど、それって自我だし、作られたもので、どうして自分だって断定できるのかも意味わからない。安定した人格だから自分、とはならんでしょ。

だから自分に化かされる。自分が演じている複数の役だったり、自分がまわりに押し付けられたり無理やり演じるしかなった役をずーっと知らずに演じてそれを確固とした自分だと自信たっぷりにいうから、ふっ…鼻で笑いたくなるときがある。
自分のことなんて全くわからない、くらいのほうが謙虚でいいかもね。

演じているってわかっているときは楽しいから、シナリオも好きだし、ゲームも好きだったし、演出も好き。感情表現って生き返る。現実の舞台はちょっと苦手。

ま、親役と子役と自分役とほかの役と、少なくとも一人二役なんてやって、子供の頃の自分がどんな気持ちだったかとか、親と子をひとりで演じて自分はどんな気持ちだったかとか、ずっと再現演出ばっかりやっているとどんどん親を殺したくなってくるし、親が私に「親」を演じさせてバカにしていたのかと思うと、首を絞めて殺したくもなってくる。

バカだよねえ。私は出来損ないでも劣等生でもいい。できが良いふりをしているとずっとできが良い優等生のいい子ちゃんを演じなきゃいけなくなる。人をばかにするなら優等生を完全に演じなきゃいけない。たいていばかにする人ほど粗が多いから陰でバカにされることうけあいなんだよねー。

完全に女優になりきれる人ってそうはいないけれど役になりきって自分で自分を騙していることも忘れてしまうことはある。だけど、それは本番の舞台上での話で、現実では必ず発言や表情や気配にボロが出る。シナリオみたいに脚本があるわけでもないしね。

私、自分を騙す天才の大うそつきだから、うそつきのことはすぐわかる。自分が目立つのは嫌だけれど。演者として目立つのは好きかも。”架空の世界”で、だけれど。くくく…。

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