[後書き] 心象sketch

心象スケッチは宮沢賢治の「春と修羅」に出てくる言葉です。
この話を書こうと決めたのは2018年1月。写しの光忠の展示が決まった時に、色々な思いがよぎり、ふと序文のある箇所が頭に浮かんだのがきっかけでした。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

「わたくしという現象」、「ひかりはたもち、その電灯は失われた」。自分が自分以外の大きなものによって決められて、形作られる。ここが、すごく写しの光忠っぽいなって思ったんです。

写しが本科と比べて並べられるのはどんな気分だろう。今まで来場者はみんな本科の光忠を見に来ていて、光忠といえば思い起こされるのは焼けた黒い刀身で。それでも、そんな状況で生み出された写しくんが、ミュージアムの人やこれらの一連のブームメントを快く思わないことは無いだろうな。光忠であればきっと、文化の継承を尊ぶ。それが刀剣業界や水戸家のためになるなら。自分が光忠の在りし日の姿として振舞っている事で、みんな幸せになるなら。そうあろうと格好を常に整えるだろうな。

そうなったときに、何を「自分の幸せ」と心から思えるだろう。望まれている期待に応えることは、本当に幸せなんだろうか?

宮沢賢治は「本当の幸い」という言葉を様々な作品の中で何度も使います。みんなにとっての幸せが本当の幸せで、世界全体が幸せにならないうちは個人の幸せはないとまで言っています。(わたしはそこまでは思いませんが)。

ジョバンニはああと深く息しました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」(銀河鉄道の夜)

例えこれから先の未来で焼けることがあっても、それも僕の歴史だといって、また受け止めて、次の光忠へ託して送り出せる。そういう気質の優しさと強さが根底にあると思います。
優しい刀だったら、自分の幸せや希望は後回しにするだろう。もしくは、本人もほぼ無自覚なうちに、上手に「みんなの幸せが僕の幸せ」とすり替えてしまうだろう。みんなのためになるなら。辛いことは自分が背負おうとするだろう。わたしは光忠をそういう刀だと思っています。


そこから妄想が膨らんで、今回は、顕現した写しくん本人だけの幸せの形を見つける話にしたいなと思いました。
同田貫らは自分が複数の逸話の集合体としての自覚があります。光忠はまだどうかはわからないですよね、修行に出たくらいでわかるのかな。でももし、写しの要素が大きい固体が生まれる事があるなら、「燭台切」全体としての幸せじゃなくて、本当にこの本丸の、この個体だけに用意された幸せと救いの話にしたいな。

そうなったときに、もし写しくんが刀剣男士として顕現したのなら、彼にとっての自己は「感覚」になるのではと考えました。今、人として感じていること。見ていること。聞こえていること。それは、既存の歴史や伝統に縛られることなく、間違いなく自分だけのもの。どう受け止めるか自分が全て決めていいもの。「風景やみんなといつしよに / せはしくせはしく明滅しながら / いかにもたしかにともりつづける」のは、人間の体を得たこの写しくんがたどり着ける、間違いなく「自分」といえる生き方の答えの一つじゃないかなと思いました。
それらの感じたことを、「幸せ」と結びつくよう導いてくれるのは、やっぱり大倶利伽羅くんとの恋をなんでないかな〜と思い…(くりみつ脳なので)できれば●百年の大倶利伽羅くんがいい。戦のない世の中を見てみたい、と言ってくれた大倶利伽羅くんなら、一緒に明日に向かって生きてくれるだろう…とミーハー丸出しで設定してしまいました。「誰かのふりをして生きていく」というテーマも、ぴったりだなと思ったので。

心象スケッチは、2人の光忠の花びらが描く心模様でもあり、「明日を描く」という今生きている写しくんだけの特権でもある。そんな感じのダブルミーニングでした。

* * *

あと…ポリネシアンセッ…が描きたくて……。触れている事が幸せである、肌で直接感じる、という事は、生きている上で自然な事だから…我慢しなくていいんだよ……という事を描きたかった…んですが………途中から断面図楽しいしか考えられなくなり…いやでも「体がもう幸せなんだよそりゃよ!」的な説得力が出ませんか?出ませんか、そうですか…描くの楽しかったです…。
細かいこだわりですが、写しくんはセッのときずっと体を縮こまらせていて、自分の感情に向き合ってからセッ…のとき、背中を反らしています。

https://twitter.com/kio_timu/status/516089173929766912

話があっちゃこっちゃになりましたが。春と修羅、素敵な詩集で様々な解釈をたくさんの方がされているので、ぜひお時間のある方は青空文庫などでお読みになっていただけたら嬉しいです。



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