自分の「本当の名前」を見つけて生きる

フランソワーズ・ドルトというフランスの女性精神科医がいます。主に子どもたちの心について向き合ってきた方ですが、彼女はある時、こんな症例に出会いました。

その少年の名前はフレデリック。幼い頃に実の両親と死別して養親にもらわれたのですが、それ以来、失語や学習障害、失禁や徘徊などの問題行動を起こし始めました。

治療の結果、それらの問題のかなりは改善したのですが、言葉は上手く発することができません。

ドルトは粘り強くフレデリックを観察していて、あることに気づきました。フレデリックがお絵かきするときに、絵の隅に「A」と描くのです。

ドルトはもしかしてこの子の本当の名前は「アルマン」ではないかと推測しました。それが養親にもらわれた時に「フレデリック」という新しい名前になってしまったのではないか、と。

そこでドルトはフレデリックに語りかけます。「あなたの名前はアルマンじゃないの?」と。しかし、フレデリックは反応しません。そこでドルトは「自分がドルトとして彼に話しかけても彼には響かない」と考えて、色々な声色を使ってあさっての方向を向いて語りかけたのです、「アルマン、アルマン」と。

するとそのかつての母親が呼んでくれたであろう「アルマン」という呼び声に彼は反応しました。ドルトによると彼の目がきらめいたと言います。

それ以降、彼の言葉の問題は解消していったのです。

皆さんは、「上司に何も言えない社員」と同僚たちにラベリング(決めつけ)されてませんでしょうか。「稼ぎの悪い夫」と配偶者に決めつけられてませんでしょうか。「出来の悪い頭」だと親に決めつけられてませんでしょうか。

そういったラベリング、つまり後付け的な「名前」の呪縛に苦しんでいませんか?生まれた時は、いろんな可能性に満ちた、名前をもらっていたのではないでしょうか?そしてこれから先、何にでも変われる名前を獲得することができるのではないでしょうか?

本物の自分、本当の自分、そして自分の本当の名前を、見つかるまで探し続ける旅を続けると良いと思います。

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