女たち

 ドイツBL文学の期末レポートを執筆している関係で考え事が膨らんでしまったので急遽noteをしたためています。(逃避)
 私は関係性厨なので、創作物ならNL・GL・BLなんでも食える都合のいい女ですが、自分はおそらく異性愛者なんだろうなとつらつら考えるなど。
 正直これ、好みの問題だし論理破綻してるところもあると思いますが、あんまり追求しないでほしいな~~という保険をかけて

 わたしの対人関係におけるくそでか感情を、主に「見る」「見せる」「見られる」の三つに分類してなんとか筋を通してみます。支離滅裂かも。

〇見る=女友達
 幼稚園小中高と、それぞれ特定の女友達とべったりしました。依存依存。一人の場合もあるし二人の場合もあるけど、グループになることはなく、必ず一対一のお付き合いでした(お付き合いでした?)

 私は物心ついた時から、友人に対して独占欲が強かったのです。
他の子と仲良くしないでほしい、はじめては全部私と一緒がいい、どんな服を持っているか全部把握していたい、二人きりで帰りたいから他の女の子が一緒に帰りたそうでも普通に嫌だし、貴方も私と二人で帰りたかったと言ってほしい、貴方に似合うと私が思う服を着ていてほしいから一緒に買い物行きたい、新しいもの買ったら見せてほしい、好きなものはこっそり私にだけ教えてほしい、一番の友達は私って言ってほしい

 っていうくそでかおも感情を十八年間相手は変えながらも常に相手に向けていました。そして、これはただ私が幸運だっただけなのですが、相手もここまでの感情かは分からないなりにも、私を欲してくれたし、何も言わなくてもお互いのことが分かっている状態(欺瞞だけど敢えてそう言わせて)だったと思います。私も友人もお互い内弁慶で人間関係に怠惰なのもあり、わざわざ外に開こうとはしなかったというのが正しいかもしれませんが。

 「おもしれぇ女」だったのもあり、主に小学校でたくさん男の子にちょっかいをかけられ暴力をふるいふるわれ……でやってきました。しかし、中学校あたりになると流石に気づくんですよ、腕力じゃ勝てないことに。この時点で、背が高い男、ごつい男、こわ!になりました。へぇ。部活・サークルは、吹奏楽、文芸、ベリーダンスですから、ごりごりの女社会ですけれども、そうした所属を好んだのも、マッチョな男が苦手だったからかもしれません。

 女体の曲線美が好きなんですが、男の体ってなんかごつくて見てて楽しくなくないですか。そんなことないですか。私は顔が好きな女としか仲良くならないし(結果論かもしれなくはある)、道行く女の顔や服装はしっかり見て評価してしまうし、全然ごりごりのルッキズムを誇るのですが、男は正直なんかどうでもいいです。明らかに嫌いな顔でなければ。興味関心が低いから解像度が低いんでしょうね。男同士でやれイケメンだのやれ身長がだの言いあってますけど、どちゃくそにどうでもいいです。髪染めたり香水付けたりする前に肌を綺麗にすればいいんじゃないかとは思います。よろしくお願いします。

 ここまで書いてどうして恋愛対象は女性ではないのかと私はいまだに不思議に思っています。ただ、なんとなくさっき思いついたのは、女性は私にとって「見る」対象だということ。見るってなんか特権的な行為なんだけど……
 友人からくそでか感情を欲しているわけではないんです。ただ自分と一緒にいてくれればよくて、それって本当は贅沢だと思うんですが最初からそれが満たされちゃっているから、特に私が相手に希求するものってないんですね。
 友人によって向ける感情は微妙には違っています。信頼、依存、愛玩……しかし、それらが揺るがされたことがかつて一度もないので、くそでか感情を抱いていつつもなんだか安定してしまっているんですねぇ。
 好きな人ができたらまず私に報告してくれれば満足です。私は恋バナが好きなので。うんうん。


 私は、自分の女らしさを自覚していますそらもう嫌になるほどに。
相対的に華奢な体躯。
ピンクに憧れていて。
かわいいと言われたらうれしい。
フリルやレースがあしらわれていて、適度な露出のある服装を好んでいる。
私にそぐわない一人称だとわかっていながら文章中では「僕」や「俺」を茶化して使う。

 時折、といっても決まって夜、文章を綴っているときに限って、その女らしさが嫌になることもあります。
髪の毛を唐突に切り落としたい衝動に駆られて、そんな度胸もないからしかたなく枝毛を切り落とす。女らしさが長い髪にあるとかそういうのジェンダーのソレに囚われてませんかとか野暮なこと言わないで。


 公開を忘れていた数か月前のnote、今更結論も出そうにないからもう公開してしまおう、えい。

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