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ある方への自己紹介(ラブレター)

約6年間、アメブロにて、駄文をつづり重ねている。
【小学校教員資格認定試験】合格を経て教員になった、五十路おやじの戯れごと第2部第5章 (ameblo.jp)


主に、仕事(小学校教員)関係のネタが多い。
しかしそれは、単なる小学校教員の「教育現場あるある」をつづりたいわけでは全くなくて、わたしが小学校教員になるために、齢40にして選んだ、すこぶるどマイナーな方法、『小学校教員資格認定試験』を合格して教員になった方々や、これからその試験を受験しようとする方々へのエールというその一心のみで、約6年間続けている。

ただ今日記したいことは、その動機とは関係ないので、ここでは割愛。
今日は、とある方へのラブレターとして、初めてnoteという手段を使って、文章をつづる。


わたしは、「ほぼ日」をけっこう定期的に読んでいる。

先日、その「ほぼ日」のなかで、なんだかものすごく、びっくりするくらいに、その文体を心地よく感じる記事を見つけた。「岸田奈美」さんという方による記事だった。正直、名前は存じ上げない方だったのだけれど、なんだかもう、病みつきになりそうなくらいに、その記事を楽しく読んだ。岸田さんによる、ほかの記事も読んだ。「note」にも記事があるとのことで、そっちにも跳んで拝読した。

そしたら。ちょうどいま、岸田さんがおもしろい企てをされてらっしゃって。ところがそれって、「noteで記事を記すことが条件」になっており。

わたしは、「ほぼ日」をきっかけとして岸田さんを知ることができた、そのうれしさを、どうもいま、岸田さんに伝えることができるらしいぞということで、奮って「note」を開拓している。

そんなきっかけで、ここに記事をしたためているわけです。


自己紹介がてら、6年かけて貯めてきた駄文のなかで、「このような記事を、ふだん書いています」と、おしらせするために、以下に過去のログ(2本)をコピペします。岸田さんにとって、「おもしろい文章」かどうか、てんで自信はないけれど、チャレンジ!

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持ってくるべきものを忘れてしまうこと 前)


先週の土曜日に、クラスの子(の学年)で、飯盒炊爨を催した。

交流学級の学級便り上で、「持ち物」欄に・タッパーウェアがあった。

お茶碗、兼、持って帰るごはんを詰める用、ということ。なるほど。

それぞれのクラスでも、前日、連絡帳に書いたり、帰りの会で確認をしたりしたことだろう。わたしもそうした。

前日の金曜日、わたしは、家にあるタッパーウェアを、カバンに詰めた。自分用、ではなく。


翌日。
朝、たまたま出くわした、交流学級ではない方の学級(学年にふたクラスあります)の担任に、「タッパーウェア忘れた子がもし居たら、教えて」と、告げておいた。

そして、飯盒炊爨、開始直前。

くだんの担任が、情緒の方の特支の児童(わたしのクラスは知的の方)を連れて、「タッパーウェアを貸してくれ」、と。

むろん、喜んで貸した。
そして、「ああ、これは昔のおれみたいだ。」、と、思う。


わたしは、かつて、たとえばそんなときに、タッパーウェアを忘れてしまう、そんな子だった。
もしくは、うちにそれがないことを、そのまま流してしまい、忘れたふりをしてしまう、あるいはそんな子だった。

小学4年生のころも、産休で来てくれた臨時の担任の家に、休日に遊びに行こうということにクラスでまとまり、そんなときに、お弁当を持参しそびれてしまうような、どこまでも、どこまでも、イケていない子だった。

ある意味、わたしはいま、仕事をしていて、『そんなときに、予備のタッパーウェアを用意しておく』、そんな流儀を貫くことで、ひょっとしたら、あの頃の自分へのリベンジというかなんというか、そんなことをしているのかもしれない。


そういえば、1年前。
全校で、近所にある大きな公園に、終日で校外学習に赴いた、そんな日に。

赤白帽子を忘れてしまった児童が、ひとりだけおり。

でも、「貸さない」というルールがたしかあったために、その子は終日、代わりに登下校時のヘルメットをかぶって過ごした、なんてことがあった。

当時わたしは担外(教務)。勝手に、その子に帽子を貸すことが、その頃のわたしにはできず、心から申し訳ない想いを覚えた。


今なら、自分が担任だろうが、担外だろうが、なりふり構わず、その子に帽子を貸す。(そもそも、予備を複数用意しておく)

あとで誰かから叱られようと、ののしられようと、「すみませーん」としれっと謝っておけばよい。120%、そうする自信がある。


ちなみに、その「申し訳ない想いを覚えた」という相手が、いま、わたしのクラスの児童になっている。土曜日に、いっしょに飯盒炊爨でお米を炊いた、間柄というわけだ。どうでもいいか。(了)



追記)
ほんとうは、もう少し、この話を続けたいと思っている。

ほとんど笑い話のような、余話があるのだ。
明日書こう、と決めた。

(※10/30、先ほど当該記事完成。今日は下書きにとどめ、明日アップしよう。)

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持ってくるべきものを忘れてしまうこと 後)

きのう投稿した、このひとつ前の記事、
(https://ameblo.jp/sekkiepmg/entry-12415378007.html)
に記したように、わたしは、用意周到型。


明日も5年生の社会科見学に同行するのだが、食べ物や飲み物をいささか多く用意しておく。忘れてしまった子がいたときのために。
「まさか!」ということが起こってしまった際に、対応できるように。
それでも、想定外なことは起こる。
笑ってしまうほど、想定外のことが。


2年前。いまの6年生が4年生だったころ、やはり社会科見学に、このときは担外として同行した。
わたしは、この頃からすでに、当たり前のごとく、万が一の時のために、食べるものも多めに携えていた。

食事どき。とりあえず、全員、昼食をかたわらにしている。(くまなく、見て廻ったのだ。そうしておくべきと当時思った)

よし。ちょっとおちつくか。

水分をぐびっと摂っていると、ちょっとしたざわめきが、ある所から。
(なんだ?)と向かってみると、とある女子が困った様子。
なんと、母親手製のおいしそうなお弁当は目の前にあるのに、


『お箸がない』、と。


うわ。
群馬県立某博物館の、受付嬢のところにすぐさまダッシュで向かい、相談をする。
聞いたしな、「う~ん」とうなる彼女たち。
それでも、「あ、」とかなんとか言った、片方の女性が、控室に小走りで向かい、割りばしを片手に、戻ってきてくれた。
重ね重ねお礼を言い、またダッシュで、女児のところへ戻ったとさ。


そしてそれ以来、校外学習などに同行する際には、食べ物飲み物だけでなく、「お箸のスペア」も用意するようになりました…。

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以上、2018年の秋に作ったログを、2本立て続けにアップしてしまった。長々とすみません。

ちなみにその後、2019年度にわたしは別の学校に異動をし、その2019年度にも、3年生の社会科見学に同行した際に「お箸のスペア」が活躍しており、そのこともブログの方にはしたためていします。

うーん、いわば岸田さんへのラブレターのような、あるいは自己紹介のような、そんなものを目指したのだけれど、そうなっているかどうか…。

「note」を今後も続けるかどうかは、またあとで考えます。

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