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SEXmasに反抗しよう

SEXmas。日本風に言うならクリスマセックスだろうか
クリスマスの夜にセックスをしようというきっと欧米発祥の文化である。

性の6時間とも呼ばれ、24日の午後9時から翌25日の午前3時までの6時間は一年で最もセックスをする人が多という。
信仰もへったくれもない

日本におけるSEXmasとは何だろうか?

クリスマスにセックスすることだろうか?

そんなわけはあるまい
欧米人にとっては信仰の対象であるイエス・キリスト
その誕生日、一年で最も聖なる日
それを性なる日として汚す事にある種の快楽、背徳感を覚えている。
いわば人妻セックスである。

ところが日本はどうだろう
大半が無宗教である日本人は、「クリスマスに乗じてプレゼントを買って欲しい」というデパートの経営戦略に踊らされているに過ぎない。

もしくは戦略にすら乗れない可哀想な人間も多いことだろう。

そんな中、ミニスカサンタコスをし自分にリボンを巻きつけて「私がプレゼント❤︎」などとほざく様はいかにも滑稽である。

全くけしからんけしからん………………ウッ……ふぅ

こんな話がしたいのではない。

今私は日本人に問いかける

「果たしてお前達は真剣にクリスマセックスをしているか?」



欧米諸国の方々は自らの厚い信仰に背き真剣にSEXmasをしている。

それに比べ日本人は睦み合いの延長、
ただのイチャラブセックスである。

これではイエス・キリストに失礼だろう。

では、日本におけるSEXmasとは何か?

それは

「年越しセックス」


である。

キリスト教における一大イベントがクリスマスなら日本における一大イベントは年越しだろうという安易な考えだが、案外的を得ているのではないだろうか。

皆が正月に向けて年越し蕎麦をすすり、神社に集まって祈りを捧げる最中
お前だけはセックスにしけ込む
それこそがSEXmasの背徳感に勝りうる唯一の機会と言える。

皆が「家族の幸せ」や「健康長寿」を願う中
「入れたいッ!」「出したいッ!」に支配されよう
皆が天を見上げ雪に感動する中
股ぐらを覗き込み潮に興奮しよう
皆が家族で紅白歌合戦を見る中
凹凸大乱闘をしよう

どうだろう
想像して欲しい
年越しセックスの如何に有意義なことか

家族で里帰り?友達とカウントダウン?それがそんなに大事なのか
こたつで蜜柑を食べる間にベッドで栗を舐める
お経を聞く間に喘ぎ声を聴く

神社にはいつでも行ける
年越しは年に一度
考えたらわかるだろう。

要は股を股で跨ぎながら年と年を跨ごうという話である。

除夜の鐘に合わせて煩悩の音をパンパン鳴らし
木魚の音に合わせてちーんぽくぽくと腰を振る

これが日本人のあるべき姿ではないのか
𝑯𝒆𝒏𝒕𝒂𝒊 𝑱𝒂𝒑𝒂𝒏 の名に相応しい行いとは何なのか
今一度考え直して欲しい。

そんな勇気も恋人もいないお前らはせいぜい所詮白豚以下のイエローモンキーである事を自覚して部屋で独り左に曲がったちんこを握り涙を流すことだ。



余談

これは豆腐アドカレ4日目の記事です。

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※この文章は完全にネタです※
登録当初はお騒がせして申し訳なかったと思っています。
この内容を真面目に語る上で必要な名前を考えた結果ああなってしまいました。
決して荒らしの意図は無いことを理解して頂けると嬉しいです。
また、140字以上の文章を書くのは初めてなので文章の拙さには目を瞑って欲しいと思います。



最後に、私の性癖について語ろうと思う。

私の性癖は間違いなくリョナ“寄り”である。
完全にリョナというわけではない
決してない
友人にリョナ好きの異常者が居るが、私は心底軽蔑している。


精神的もしくは肉体的苦痛は感じて欲しいが、同時に快楽も感じていて欲しいのである。

例えば公衆の面前でムチを打たれるシチュエーションがあったとしよう。
「痛み」「羞恥」「社会的再起不能」に「快楽」があって初めて“エロ”を感じることができる。
快楽が無ければそれは単なる暴力に等しい
それはエロではない

また私の性癖の難しいのは「快楽堕ち」も受け入れないという所にある

対象には必ず「嫌だ」と思っていて欲しい
しかし、大半のストーリーでは最終的に対象が最初は嫌悪感を抱いていたモノを求めてしまう「快楽堕ち」が起こる。
「もっとぉ…❤︎」などと言われた瞬間には私のフランクフルトはシュルシュルと縮みポークビッツになってしまうのだ。
そちらから来てはいけない
来ないで欲しい
これが私の切なる願いである。

pixivは私専用のAIを開発してくれないかな




End


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