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四十章 Keizer der Juniores

余談が長いので飛ばし飛ばし読んで頂けると幸いです。

本当に激しいレースだった。
余談が長くなるので初めに。

前々日から移動が始まり、初日はマルセイユからリール近郊の街まで移動した。リールはフランス北部、ベルギーとの国境付近にある。距離は1000km以上あったと思う。隣には一切英語を話さないマッサーが運転してくれた。(英語が嫌いというわけでは無さそう。ただYesですら、本当に一切も喋らない。)2時間ほど足を慣らして初日は終わった。

ベゼリンと平原

2日目はベルギーに入国し、レース会場であるNieuwpoortのホテルに移動した。これが人生初のベルギーだった。フランス色の強い、しかし体型は少しばかり大柄で美しく茶色な街並みが印象的だった。ホテルからVeselinと少し走ってから他のチームメイトと合流した。
メンバーはブルガリア人のVeselin、アイルランド人のCurtis、マルセイユからBenjaminとHugoがきた。フランスナショナルからは同チームのMaximも参加した。

ホテルで食事を終え、フランスナショナルと共にAmong usをやった。(人狼的な?)
世界選シクロ優勝のLeo、ヨーロッパ選手権2位のMatys等、豪華メンツでだった。

遊び心絶えないMax
これがセバンヌ

いよいよレース本番。

スタートが切られ激しい戦いが始まる。平坦路は裕に60km/h以上出る。クラシックならではの石畳があり、その手前30kmから位置取り争いが始まった。伸びては縮むを繰り返し最前列に行きたいが中々行けず真ん中らへんに位置取った。そして大通りから小道へと変わっていく。車一台がやっと通れるような道だ。横には5、6と車列が続いていて当然のことながら前にも同じように続く。時速は50km/hくらいだろう。大型トラックを自転車で煽っているようなもので、視野は狭く9割型選手の背中だけが見えている。前の選手だけを信頼して走る。

突然、乾いた音が鳴り響く。右コーナ出口で隣を走っていた選手が障害物と認知出来ていなかったのか平然と木に突っ込んでいった。40後半は出ていた。カーボンの割れる音、同時に破片が散乱する。死んでもおかしくない。そう思った。

周りを走っていた選手はそれを見るや興奮していた。そして前へ前へ攻めていく。恐れるものを知らない。
恐れていては戦えないのだと思い知らされた。

石畳がスタートし全ての感覚を失う。本当に全ての感覚が機能しなくなる。想像以上に激しいものだった。
操縦は愚か、視界すらも何が見えてるのかわからなかった。ハンドルを握っているのかさえ判断できない。当然ブレーキが機能しているかもわからない。Maximが嬉しそうに名前を呼んでくれたが答える余裕など1ミリもなかった。Paris Roubaixを見て平均速度が30km代と出ているのを見たことがある。自分なら行ける、と思っていたのが恥ずかしく思えた。現実はそう甘いものではなく、想像を遥かに超える過酷さだった。

カーボンが悲鳴を上げている。砂埃、体の拒否反応、そして落車祭り。下り、上り、平坦、どんなシチュエーションにおいても地獄だった。
恐らくこの経験は一生忘れることはないだろう。

石畳区間が終わり再びコンクリートな路面を走る。コンクリートの偉大さを始めて知った。まるで空を飛んでいるかと錯覚するほど、(よくカーペットの上を走っているように、と表現するがそんなものではない)自分の神経はいかれていた。

この時自分はまだメイン集団に食らいついていた。
そして休む間もなくまた石畳に入る。今度は激坂だ。斜度は恐らく20%ほどあったと思う。インナーローで500w以上出力することもあった。ダンシングをすればすぐにタイヤのグリップを失う。中切れ、落車に巻き込まれて一度でも止まったら終わりだ。自転車に跨がれず、残った選択肢は走っていくしかない。幸いにも、運がいいのか落車をかわして登り切れた。登り切ると天国(コンクリート)が見えた。若干の腹痛を堪えながら前へいく。そしてまた石畳に入る。しかし石畳の側道には歩道のようなものがあり、そこは白砂でできていた。集団は歩道めがけて群がる。そして長い列車のように縦一列に続く。

側道を走りながら前の選手が中切れした。これは戦犯である。しかし追い抜くスペースは愚か路面は砂利である。ここでミスを犯せば後ろは全員落車して今度は自分に怒りの矛先が向くだろう。それでも酸素が行き届いてない脳は追い越すことを決断した。なんとか無事に追い越せた。しかし勝負はここからだった。前の集団までを一人で鬼引きしなければいけない。必死に踏むが追いつかず事実上、敗北が決まった。石畳が終わりグルペットで完走を目指すが、バイクの兄ちゃんが申し訳なさそうな顔で今日は終わりにしてくれ的なことを言って呆気なくレースが終わってしまった。

その後はスタート地点まで自力で帰る。当然、携帯も持っていなければスタート地点の地名すらわからない。名前くらい覚えとけばよかったと後悔するが時すでに遅し。前の選手を2人組を追っていたがチームカーに乗ってどっか行ってしまった。

仕方なく前を走っていたら大柄な同じくらいの身長の選手が横にやってきた。最初は二人とも無言で走っていたが段々会話が弾み「困ったな、道わかんないんだよ」と話しかけると続けて「いや、俺もわかんないんだよ。まあこのまま真っ直ぐ進めばわかるっしょ。」的な話をした。彼はベルギー出身でざっくり言えばレオナルド・ディカプリオ似だった。表情から人柄の良さがひしひしと伝わってくる。
30分前まで死に物狂いで戦ってた相手と今では雑談をしている。スポーツの美しさ、自転車競技をやっていて良かったと思えた。
何度か道を間違えたが、何はともあれ無事に会場に着き彼と別れた。もう一生会うことはないかもしれない。ただ恐らく一生忘れることはないだろう。なんだかヨーロッパに来てそんな出会いが多い気がする。

我れらがLa pomme Marseilleは5人中完走2人で終わった。コーラを一杯。そして早々に片付けをし撤退した。

帰り道中で、あの英語を一切喋らないマッサーが先を急いでいた。若干キレ気味。そんな時に限って道を何度も間違えたりする。思わず笑ってしまい、隣にいたべセリンにも伝染。二人でツボってしまった。緊迫した雰囲気こそ人間は笑ってしまうものだ。

今回の遠征で望む結果ではないにしろ多くのものを得れた。その多くは一生忘れないようなもの。次に向けて頑張ろう。




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