川端康成「伊豆の踊子」

 川端康成の「伊豆の踊子」は言わずと知れた日本文学を代表する作品であり累計330万部以上売れました。しかし私は20年以上前に初めてこの作品を読んだ時、恥ずかしながらどうしてこれが名作なのか、なぜ「私」は帰りの船の中で号泣するのかさっぱりわかりませんでした。

 旅先で旅芸人の一行と道連れになって、その中にいた一人の少女に惹かれ、親しくなるが彼女が子どもだったこともありプラトニックな関係に終始し、五目並べをしたり、山道を歩いて泉の水を飲んだり、楽しい時間を過ごすけれど、途中で旅費がなくなったので一人で東京に帰る。それだけの話に思えたのです。

 しかし今回再読してある一つのことに気づき、この作品がどうしようもなく悲しい話であることに気が付いたのです。

 旅芸人は栄吉という24、5歳の男、四十女のおふくろ、栄吉の妻でおふくろの実の娘でもある19歳の千代子、大島で雇われた17歳の百合子、そしてこの作品のヒロインで栄吉の実の妹でもある14歳の薫、のひとりの男性、4人の女性で、肉親ということもあり家族のような絆で結ばれています。

 街道を歩いていると次のような看板が目につきました。

「物乞い旅芸人、村にはいるべからず」

 また宿屋の女将は主人公に「あんなものにご飯を食べさせるのはもったいない」と忠告します。

 なぜ彼らはこれほどまでに差別されているのでしょうか。特に女性に。(作品の中で旅芸人に蔑みの言葉を発するのはすべて女性です)

 そもそもこの旅芸人とはどんな人たちなのでしょうか。

 冒頭の茶屋のシーンで17歳の百合子をみて女将は、

「この前連れていた子がもうこんなになったのかい。いい娘になって、おまえさんも結構だよ。こんなに綺麗になったのかねえ。女の子は早いもんだよ。」

 と親し気に話しかけるのですが一座が去った後、彼らは今夜どこに泊まるのだろうか尋ねた私に、
「あんなものどこで泊まるやらわかるものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊まるのでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか」
 と嫌悪感を隠そうともしません。
 宴席に呼ばれたら酔客の前で歌と踊りを披露して、そしてそのまま泊まるとのことです。

 主人公が滞在していた宿の前にある料理屋に芸人たちが呼ばれて主人公は神経をとがらせながら耳をすませます。聞こえてくるのは歌や踊りの音、音楽がやむと走り回る音と女の金切り声、そしてなにも聞こえなくなりました。私はたまらない思いになります、床に入っても眠れず、湯に入りお湯を乱暴にかき回します。気が付いたら午前二時になっていました。    
主人公はなぜそんなに心をかきむしられたのでしょうか。

「私は踊子の今夜が汚れるのであろうかと悩ましかった」
 
 つまりこの女の子たちは、体を売っていたのです。だから女性たちから敵視されるのです。
 百合子は前回の旅と今回の旅の間に水揚げ(客を取らされるようになること)を迎えたのでしょう。
 しかし「私」が惹かれた一番年下の踊子の薫は、実際はまだ穢れを知らない子どもでした。

 若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてからことこと笑った。子どもなんだ。私たちを見つけた喜びで真っ裸のまま日の光の中に飛び出し、つま先で精一杯にのびあがるほどに子供なんだ。私はほがらかなよろこびでことことと笑い続けた。頭がぬぐわれたように澄んできた。微笑みがいつまでもとまらなかった。
 踊り子の髪が豊かすぎるので、十七、八に見えていたのだ。そのうえ娘盛りのように装わせてあるので、私はとんでもない思い違いをしていたのだ。

 露天風呂で私たちを見つけると裸なのに、恥ずかしがることもなく大きく手を振ります。

「私が読みだすと彼女は私の肩に触るほどに顔を寄せて真剣な表情をしながら目をきらきら輝かせて一心に私の額を見つめ、瞬き一つしなかった。これが彼女が本を読んでもらう時の癖らしかった。さっきも鳥屋とほとんど顔を重ねていた。」

 薫は男性に対して警戒心がありません。家族がどんなことをしているのかさえ知らないとも読み取れます。

 こちらの部屋へ一緒に立ってくる途中で鳥屋が踊り子の肩を軽く叩いた。お袋が恐ろしい顔をした。
「こら、この子に触っておくれでないよ、生娘なんだからね。 」

 それほど遠くない将来、薫は高く売られる運命なのでしょう。

 この作品は6度映画化され、踊子の薫役には田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵、とその時代を代表するトップ中のトップ女優が起用されてきました。それほどまでに日本人の心をとらえてきた作品ですが、当時の人たちはここに出てくる旅芸人がどんな人たちなのかわかっていたのでしょう。(もちろん純粋に芸をするだけで生活する芸人もたくさんいたでしょうが)貧困ゆえに身を売らざるを得ない女性が身近にいたのかもしれません。

 踊子が美しくやさしく無垢であればあるほど、彼女に待ち受けている過酷な現実がつらく思われ、ラストで「私」が船の中で号泣したように、昭和の人々は涙したのでしょう。

 まだ日本が貧しくて弱い国だった時代を生きた人たち、とくに女性たちの悲しみを代弁している、だからこそ日本文学を代表する作品になったのかもしれません。


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