周山街道をゆく chapter2-9 嵯峨祭
→chapter2-8 鳥居本
まもなくバスが来た。この京都バスは大覚寺経由阪急嵐山駅行きだ。僕はいつも大覚寺で市バスに乗り換える。このバス停は大覚寺の駐車場内にあり、トイレもあるし、何より始発であり座れるのが魅力だ。そのまま嵐山まで乗車していれば渋滞と大混雑は避けられない。いつものように大覚寺バス停で下りた。
バスは駐車場には入れたものの、駐車場はすでに人で溢れていた。今日は大覚寺で何か催し物があるのか?警官も居る。神輿が待機している。大覚寺で神輿⁉️
大覚寺とは
はじめ、映画の撮影か❓と思った。大覚寺・大沢の池・広沢の池では白黒フイルム時代からよく撮影が行われている。以前は時代劇が多かったが、最近はTVのサスペンスにも登場する。僕は以前大覚寺に行った時もNHKの時代劇の撮影中でよく顔の知れた俳優さんが待機しており、殺陣のリハーサルを繰り返し行い、切られ役の大部屋の俳優さんと立会いのタイミングを確認し合っていた。
撮影隊はいないからReal神輿だ! 今日2024年5月26日は嵯峨祭の還幸祭であることは後でGoogledで知った?・・・と言うか、完全に忘れていた。
嵯峨祭とは
嵯峨嵐山の祭といえば“三船祭“が有名だ。渡月橋付近で行われる王朝絵巻、車折神社の“三船祭“(5月第3日曜)、或いはこの嵯峨祭の神興祭(第3日曜)今年は2024年は5月19日、嵯峨祭還幸祭(第4日曜)5月26日に開催された。Mediaの関心はほぼ同時期に開催される“葵祭“(5月15日)にばかり注目が集まり、嵯峨祭はとても歴史のある祭なのにその影に隠れてしまっている。そのためか京都のguide bookに嵯峨祭が掲載されている物は少ない。逆説的に見れば京都にはそれだけ掲載する物件が数多あるということでもある。
下車とほぼ同時に駐車場にいた観客が一斉に移動し始めた。大覚寺の西端で合図待ちで待機していた愛宕神社の神輿が動き出したからだ。みんながスマホカメラで撮影し始めた。
ワッショイ!ワッショイ!
僕も連られてスマホカメラを構えた・・・・❓
たくさんの観客が邪魔で撮れない。
両腕を高く上に伸ばし画面を見ず、ただスマホのシャッターボタンを連写した。
・・・・???
神輿を担ぐ者や観客の顔も映っている。
僕はこれまで事ある毎にはっきりと顔が写っている画像をSNSにUPするのはマナー違反だと厳しく言及してきた。
だが、僕は特ダネを手にしたような気分になった。
僕はいち早くこの嵯峨祭の情景をFacebookにUPしたいと思った。先に誰かがUPすれば二番煎じは避けられない。しかし今回それらの写真にははっきりと人の顔が写っている。迷った❗️
僕は迷った時には一息つくことにしている。その時の気分で慌てて決めないことだ。これは長年地球の空気を吸ってきた者の知恵だと思う。まずは気分転換をし、一歩退き、客観的に現象を捉え、時間を置き決断する。その決断が15分後か?・一晩寝てからか? 時には数週間先になることも。
次の神輿が来た。前の神輿がまだ境内を出るまで次の神輿は待機だと告げられた。
Break time!!! 小休止
担ぎ手が一斉にトイレに殺到した。大覚寺のトイレは結構広いが・・・
中には洗面所で祭のユニフォームを脱ぎ、蛇口の下に頭を入れ、水道水で涼を取り、汗を拭う者もいた。多くの担ぎ手は自販機でPocariを買い飲み干した。
暑い❗️暑いのか❓暑いのだろう。
5月26日、皐月晴れの日、25度は超えているだろうが、湿気少なく激しい運動をしない限り汗ばむほどではない。他の激しい動き神輿から見れば京都らしく穏やかな神輿に見える、が、若衆がムカデのように隊を組み担ぎ歩く様はジムで汗を流すほどのエネルギーを消費するのだろう。
僕もトイレに行きたかったが、あまりの人の多さに諦めた。
待機していた神輿が動き始めた。
鳥が一斉に飛び立つように人が神輿を追って動いた。カメラが追う。僕も再び両腕を高く上げ、神輿に向けて盲状態で連写した。 連写,連写!!
野宮神社の神輿が大沢の池に向かったところで待機していた市バスが発車することになった。僕はそれに乗ることにした。トイレ? 新丸太町通にさえバスが出ればスーパーなり適当にトイレができる所はある。それより歩き放しの時間が長かったからバスで座れることはありがたかった。
バスの中でgoogle photoを再度checkした。どの写真にもそれなりに人の顔が写っている。当たり前だ!人を入れずに動く神輿は撮れない。アプリで顔をモザイクmosaicでぼかしたり、trimmingすることはできる。
やはり迷った。
ぼかすことで投稿者としてのマナーmannersは守れる。
しかしこの画像としての価値はなくなる。
神輿は担ぎ手が居てこその神輿である。
その顔の表情から躍動感を読み取ることができる。
人をぼかしてしまえば祭(神輿)の動の世界・活気・躍動感・鼓舞(inspire)なるものをaudienceに伝えることができない‼️
神輿の画像の中からぼかしの修正は一切掛けず、なるべく顔の写りが少なく克、もっとも活気にあふれたものを数点選んでバスの車内からFacebookのあるgroupに投稿した。
それでも顔ははっきりと写っている!
もし誰かがそのことを指摘してきたら・・・
覚悟を決めた。
以下は写真に添えた投稿のtextである。
→Facebookのtextはsimpleのものが好まれる
“今日、野宮神社の嵯峨還幸祭が行われた。縁結び、子宝の神様として超有名、源氏物語の「賢木の巻」にも登場する。神輿は嵯峨嵐山一体を巡行する。写真は5月26日大覚寺に神輿が来た時に撮影“
実は下車直後の愛宕神社の神輿は急遽であり、他の観客に連られて思わず連写をしたが、野宮神社の神輿が来た時は動画撮影を試みることは時間的に可能だった。それをしなかったのは画像としてaudienceに伝えたかったからだ。確かに画像には音声はないが、この神輿の画像からは目の前でワッショイ!! ワッショイ!!の掛け声が地面に響き渡り、観客の歓喜の叫びが視覚画像から聞こえるのである。これが顔をぼかさず自然のままの画像を投稿することを早期に決断できた理由である。
伝えたい自分がそこにいた。
さらに言えばこのnoteの投稿画像はFacebookに投稿したものよりはるかに多い。それらには躍動感を損なわない範囲でのtrimmingを施し、一定の配慮をしている。
・・・そういえば以前JR嵯峨嵐山駅であの祭の行列を見かけたことがあったなあ💭💭💭
あの時は嵯峨のどこかの小さな祠の祭だと想っていた。今はそれが嵯峨祭と知った。何年か前のあの嵯峨の活気に満ちた神輿を想い起こさせのは、ちょうど市バス#91が円町交差点を曲がった時だった。
僕はその円町バス停で降りた。トイレ? そのことはすっかり忘れていた。
chapter2 finish
追伸(postscript)
chapter2は2024年5月26日(日曜)AM(半日)の出来事である。この日の朝、chapter1高雄神護寺の記事の補完写真の必要性を感じ、思い立ったように出掛けた。それを終え時間があったので清滝を経由し奥嵯峨を歩いた。
すでに書き始めて80日が過ぎようとしている。当初chapter2がここまで長くなるとは想像もできなかった。それを可能にしたのは半日間に撮影した115枚の写真である。それらがひとつひとつのsceneを蘇らせてくれた。そして仕事の片手間に朝夕に読み返し、編集に編集を重ねた結果、気がつけばこんなに長く、そしてずいぶん時間が経っていた。
これは記憶の記録である。
もちろん全てFACTである。
無名人 晴遊雨読
2024年8月14日
chapter3 常照皇寺→