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周山街道をゆくchapter2-4 清滝(1)

→chapter 2-3 錦雲渓(2)
僕はアスファルトの道を下った。するとローギヤでいかにも苦しそうにエンジン音を響かせ坂を上がって来るバイクと遭遇した。ここは車両通行禁止ではないが、この先は行き止まりであることを知らないだろうか?月輪寺へは途中から徒歩になる。清滝までは車やバイクで来る人はいるが、麓の清滝で駐車して徒歩で登る。
『ここはハイキングコースだぞ・・・』と声に出して言った記憶はないが、そう言う目でそのバイク男を睨んだのは確かだ。一旦バイク男は通り過ぎたと思ったら1分も経たないうちに戻って来て、僕を抜く前にいかにも申し訳なさそうに「すみません」と小声で言った。そしてトロトロとエンジンブレーキを掛け下りて行った。僕は無意識にぼやいていたのかもしれない。

愛宕神社参詣表登山道

僕もアスファルトの坂を下りて行った。金鈴橋より少し手前に打ち捨てられたように備品などがそのままに放置され、潰れた店があった。この付近に2軒ばかり飲食を出す店はあるが、静かである。清滝は京都有数の紅葉の名所であり、愛宕信仰の登山の入り口でもある。しかし昔ほどの賑わいを見せないのはなぜだろう?

愛宕山マップ

清滝は忘れられたリゾート地でもある。

愛宕神社ニの鳥居


レトロな郵便ポスト
渡猿橋

僕が子供の頃、よく飯盒炊爨をするために清滝に行った。それから半世紀が経ち、僕は仕事の第一線から退き、有り余る時間ができた。そして懐かしさに駆られて清滝を訪れた時、この清滝川駅跡の看板を見つけた。そして記憶が蘇った・・・・・。

愛宕ケーブル清滝川駅跡

僕の父は旅行好きで父の書斎には地図やガイドブックが積まれていた。僕が中学生の頃、その中から偶然、戦前の愛宕山の地図を見つけた。比叡山にはケーブルカーがあり、容易に山麓まで行けるが、同じように愛宕山にもケーブルカーの位置が地図に明記されており、愛宕山山麓にもスキー場、ホテル、遊園地があったらしく、しかも嵐電嵐山駅から清滝まで愛宕山鉄道が走っていたという。ウソでしょう?その存在がにわかに信じられなかった。そしてそのまま月日が流れ長い間僕の記憶から消えた。

京都バス清滝バス停(旧愛宕山鉄道清滝駅)

清滝トンネルは幾度となく通過している。天井が低く暗くバスがかろうじて通過できるが、道幅狭く片側交互通行である。長い間、車社会になる前の古いトンネルだと思っていた。

清滝トンネル(旧愛宕山鉄道トンネル)

2022年6月にFace bookのあるgroupに愛宕山鉄道跡の事を書いて投稿した。
そのcommentを頂いた中に清滝トンネルを『お化けトンネル』と評する方がいた。チマタではそう呼ばれているらしい。なるほど!狭く暗く歩道がなく、車がヘッドライトを着けて走行する横を歩行者は無事にトンネルを抜けられるよう祈りながら通行しなければならない。これまでトンネル内での交通事故は0ではないはずである。運転手は暗闇の中から急に人の影が出て来るのでそれをお化けと見間違えても不思議ではない。

あの父の書斎にあった愛宕山の地図はどこに消えたのか,今となってはわからない。

余談ではあるが、
以下は2022年6月、愛宕山鉄道の記事をFace bookに投稿した写真の一部で、その写真の説明をここに記す。

今は高架道路になっている 2022年6月撮影

僕はこの高架道路は嵐山の交通緩和のために造られたものと考えていた。只このような住宅密集地によく土地が確保でき、地元住民が同意したことが不思議でならなかった。

嵐電嵐山駅 この付近で線路はカーブしていた
2022年6月撮影

嵐電と分岐していた線路は今は民家になっている。その先の線路跡は清滝まで道路に代わっている。愛宕山鉄道はよくある利用者の減少で廃線になったわけではない。第二次世界大戦末期、欧米列強に資源輸入を止められた政府(軍部)は国家奉仕の名の元、民間の金属をほぼ無償で調達し始めた。当時鉄道は物流の基幹であったが、リゾート(観光用)鉄道は贅沢とされ、政府(軍部)の命令で廃線が命じられ、リゾート施設の多くは解体された。当時米軍は軍需工場を優先的に空爆した。京都市内にあった三菱などの軍需工場の空爆を恐れた政府(軍部)は清滝トンネルの中に秘密の軍需工場を造らせたという。

戦後、愛宕山鉄道は復活されることはなかった。その後、大きく観光開発されることもなく、清滝は登山やハイキングする人が訪れる静かな里となった。現在、京都バスがこの路線を運行している。

清滝バス停の時刻表

chapter2-5 清滝(2)→


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