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『長い一日』を読む長い一月 〜番外編〜

本日は『長い一日』本編ではなく、柴崎友香さんの小説『パノララ』(講談社、2018)文庫版の滝口さんによる解説について書きたいと思います。この解説は、先日の滝口さんと柴崎友香さんのトークイベントで言及されていて、滝口さんは「この解説に『長い一日』でやろうとしたことが書かれている」という旨のことを話されていました。

この記事では『長い一日』につながっていると思われる部分を、解説から抜き出して書き留めていきたいと思います。グッとくる文章盛りだくさんでした…

何かを思い出す時、私たちは本当は見ていないものや聞いていない音をどこかから借りてきて、切り貼りして、組み立てる。そこには、パノラマ写真と同じように、歪んだ継ぎ目が生じているはずだけれど、私たちはたぶん自分の見たものだけでは、何かを思い出したり、想像したりすることがうまくできない。(前掲書p.576)
人が何かを思い出し、言葉にしようとする時に必ず生じてしまう継ぎ目。この作品は、その継ぎ目について書かれた小説だと思う。(前掲書p.577)
語り手である「わたし」が、この物語を語る動機とか理由のようなもの、この小説が語られなくてはならなかったという切実さのようなものは、この秘密の交換から生じている。(前掲書p.579)
なぜ誰かの視点、誰かの声を借りなくてはならないのか。それは、誰かの目と声を借りて、継ぎ接ぎされた時間や空間のもとでしか、思い出せないこと、語れないことがあるからだ。(前掲書p.582)
けれども。誰かと誰か。何かと何か。
言葉を声に乗せることが、何かを伝えようとすることが、離れたものを結びつける。今とその次との継ぎ目をつくる。(前掲書p.585)

継ぎ目」と「語ることの切実さ」、このふたつを手がかりに、明日からまた読み進めていきたいと思います。

ちなみに、アイコンを『パノララ』文庫版風に変えてみました。きっと誰にも気付かれないので、自分で言っておきます。

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