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わたしたちにはスポーツが見えているのか? 『見えないスポーツ図鑑』を読んで

はじめに 

好き嫌いや頻度の多い少ないはあるにしても、日常生活のなかでスポーツを目にすることは、だれしもにあることではないかと思います。わたし自身は子どものころからスポーツが好きでテレビで放送されていればついつい観てしまいます。最近は一昨年のW杯をきっかけにラグビーにハマり、スタジアムにも足を運んでいました。
生身の肉体同士が激しくぶつかりあうボールの争奪戦や、一瞬で相手選手を置き去りにするバックスのあざやかなステップ。そんなシーンにいちいち興奮し、応援しているチームが勝てば自分のことのように嬉しくなっていました。

スポーツを見ることへの「問い」

「わたしたちにはスポーツが見えているのか?」
ここまでスポーツ観戦の楽しさや興奮について書いてきて、いきなりこんな疑問を投げかけるのは奇異に映るかもしれません。
もしかしたら、これまでも観戦を楽しみながら心のどこかにこんな思いがあったのかもしれません。ここ最近、この「問い」が明確になるきっかけがいくつかあったのでした。

ひとつめは、参加しているオンライン講座で「パラリンピックを目を閉じて観戦してみる」という課題が出されたこと。音で観戦することで見えてきたものがあり、とても刺激的な観戦体験でした。当然のことですが、アスリートは視覚だけで状況判断しているわけではなく、五感を駆使した身体感覚を働かせています。目を閉じることで、その感覚にほんの少し近づけたような気がしました。これについては、また別の機会に書きたいと思います。

ふたつめ、前置きが長くなりましたがこちらが今回の記事でふれたいことです。それが、『見えないスポーツ図鑑』(晶文社)という本についてです。

見えない・スポーツ・図鑑

『見えないスポーツ図鑑』。タイトルからはどんな本かまったく想像がつかないと思います。著者のひとりである伊藤亜沙さんもそのことにふれています。

「見えないスポーツ・図鑑」ってことはアリとかミジンコがやるようなミクロの世界のスポーツがいっぱい載ってる図鑑なの?いやいやこれは「見えない・スポーツ図鑑」ということで、オノヨーコの作品のように頭のなかで想像してみるタイプのスポーツ図鑑なんじゃないかな?
ハイ。ことほどさように、「見えない」「スポーツ」「図鑑」という言葉は相性が悪い。見えないスポーツなんてそもそもどうやってプレイしたらいいかわからないし、見えない図鑑だってどうやって手に取ったらいいかわかりません。(p.13)

ところで、この本が生まれるきっかけとなったのは、視覚障害者とスポーツを観戦する方法をさぐることでした。悪戦苦闘するなかで、伊藤さん、渡邊淳司さん、林阿希子さんの3人の研究者がたどりついたのは試合のなかに目が見えない人を巻き込ませ、試合の振動やリズムを体験してもらうということでした。「観戦」から、「感戦」そして「汗戦」へ。

目で見るだけがスポーツじゃない。図鑑も、目で見る以外のわかり方がある。(中略)
本書はそんな「目で見ないスポーツのわかり方」をめぐる、汗と涙と笑いの結晶なのです。(p.14)

スポーツを翻訳する。

かといって、(当たり前ですが)目が見えない人にまさにスポーツが行われている場所に実際に立ってもらうということはできません。3人が考えたのは、スポーツを変換し、彼らが参加可能な形のものをもうひとつ作ってしまうことでした。
変換の過程で、それぞれの競技のエキスパートから助けを得る中で、目が見える人が注目している部分とはちがったところにも、その競技の本質があるということに気づきます。(たとえば、卓球。わたしたちは高速のラリーに目が行きがちだが、「回転」が非常に重要な要素だそう)
こうした気づきを得て、目が見えている人にも見えていなかった「選手がプレイしているときに感じている感覚」をいかにして伝えていくかを、3人は模索しました。そして、それは一種の翻訳なのではないかと思い至ります。

何の経験もスキルもない素人には、選手がトップレベルでやっていることをそのまま実体験することはできません。なので、選手が感じている本質を、何らかの別の方法や道具を使って再現しなければならない。同じ意味を別の方法で表す、という意味でこれは一種の「翻訳」です。その競技をプレイすることなしに、「その競技感」を体感できるようにするのです。(p.26)

この本では10種のスポーツが翻訳されています。さきほどの引用にもあるように、スポーツの本質を表現するために別の方法や道具を使用するのですが、面白いのは使っている道具が100均で手に入る、わたしたちが普段使っているような日用品だということです。たとえば、わたしの好きなラグビーはキッチンペーパーと軍手、紐によって翻訳されます。え、どうやって?!って思いますよね。それは実際に読んで確認してもらいたいと思います。
いちばん面白いと思ったのは、フェンシング。指先の感覚、戦略の相性、攻撃の優先権など、競技のエッセンスである駆け引きの要素が、まさか、アルファベットの木片で表現されるとは…… めちゃくちゃやってみたい。

「問い」ふたたび

ここまで『見えないスポーツ図鑑』についてふれてきました。
わたしたちにはスポーツが見えているのか」という問いへの答えは「見えているようで見えていないものがある」です。
ラグビーを好きになって、たくさん試合を観るなかで選手のことやルールがなんとなくわかるようになったけど、パッと目に写るようなボールの動きや、得点シーンに一喜一憂する観戦はなんだか物足りない。やっぱり実際にやっていた人でないと、競技の本質には触れられないのだろうか。
そんなことを考えていたわたしにとって、この本で書かれている「目で見えることから離れてみること」というのは、大きなヒントを与えてくれたように思います。(そう考えると、目を閉じてパラリンピックを観戦することも競技の本質にふれるための方法のひとつですね)そして、そこには身体や感覚の違いを超えた「楽しさ」があるように思います。

サムネイルはダイアログインザダークへのオマージュです。完成度低くてすいません。

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