50代から備える天寿全う後の始末

人生100年時代、折り返しに入ったら無理なく、でも粛々と。

少し前に小藪さんのポスターで話題になった【人生会議】ですが、これマジで大事だと思っています。

まだ自分が若くてお葬式に参列っていっても遠方に住んでいる親戚の葬儀に数年に一度親に連れられて出るだと、まだまだ死に対して無縁、いつかは来るけど実感のないものだと感じますよね。

少しずつ年齢を重ねていき、いつの間にか周囲が親、義理の親の介護に関わるような年回りとなると、同級生や職場同僚が大病して入院先に見舞いに行ったり、よく知った知人の親や配偶者の葬儀に参列したりするようになります。死がぐっと近づきます。

そして 子どもの頃からテレビでよく見ていた芸能人逝去のニュースに「えぇー!あんなに元気だったあの人が?」と驚き、【享年〇〇歳、早すぎる死でした】と言うアナウンサーの声に(もうそんな年齢だったのね。いやまて。自分もたいして変わらないじゃない)と気づいたりします。

私は、変わり者の無神論者の父親のもと生まれたので、基本的に何かに祈ったり拝んだりしません。当然父の死後は直葬、骨は散骨です。先祖代々の墓はありましたが、生前、彼が自分の父親や祖父母の墓参りに行ったのを一度たりとも見たことがありませんでしたから、もし遺骨を墓に入りしたら怒って化けて出てきたかも知れませんwww。いや、生前の彼は「人間なんて死ぬまで食っては出すうんこ製造機。死ねば無。遺骨は無機質。焼いて川にでも投げ込んでプランクトンの餌にでもしろ。魚が食ってデカくなるだろう。」と言っていたので幽霊すら否定するか。

(現在父方、母方双方の墓守とも伯父らからの依頼により私の弟がしています。弟は一人っ子と結婚したので、この先更に妻側実家の墓が増えるという‥‥。正直、少子高齢化のこの国でこんな制度いずれ崩壊すると思うんだけどねー。)

私が数年に一度神社や寺に行く時には、賽銭を投げ柏手を打ち首を垂れますが、神仏を信じて行うというよりは、【お作法】【マナー】として、出来るだけ無礼の無いよう形を模しているだけです。これは葬式に参列する時も同じです。読経が流れていても讃美歌がエレクトーンで演奏されてても、故人への敬意とお別れの儀式として恙なく参列します。

そんな私が、自分の死に対しどんな支度を始めているか?

まず、【献体】に申し込んであります。死んだら新鮮なうちに大学病院に運んで戴き一年はホルマリンに漬け込まれ、医大生の解剖実験に役立てて貰おうという魂胆です。その為、申し訳ないけれど脳死後の臓器移植は遠慮させて貰ってます。だって腹掻っ捌いたら腎臓一個無かったとか、肝臓見つからない、ってなったら解剖する学生さん達の勉強にならないじゃないですか。

(うわーメス通り悪いー。俺らの班の死体、外れだわ~)なんて言われないよう皮下脂肪を貯めこまず『綺麗なご遺体』目指し、健康と標準体型を維持したいと思います。

献体については各都道府県により手続きやシステムが異なるのですが、流れ的には解剖後火葬して骨にし、毎年一度合同慰霊式も献体主催側が開くというが一般的なようです。都会では遺骨返却が当たり前(納骨するようなスペースも無いでしょうから)ですが、地方だと希望により納骨もして貰えるところもあります。勿論タダで。

私が申し込んだ献体先では最低二名の自分より若い近親者の同意署名が必要でした。だから親とか年上の配偶者じゃダメなのよ。予め夫と娘には

「ねーねー、私死んだらさー、骨要る?」と聞いたところ

夫「えー?骨は要らないかなぁ~別に。」

      ←軽いなぁおい。ラーメンに卵乗せる?くらいの感覚ですね。

娘「墓って高いんでしょ。勿体ないから買わない方がいいよ~。そうそう私、行かんだろうし」  ←お前もかーい⁉隔世遺伝。

私「いやね~私、前にも言った事あったと思うんだけど、本当は遺体を乾燥地帯で鳥葬ってのが理想なんだけど、私が死んで諸々役所行ったりいろんな連絡したりで忙しいお二人にさぁ、そんな中『インドかチベットまで遺体を運んで鳥葬して』とか頼むのもさ~正直申し訳ないから、現実的に妥協して献体にしようかと」

夫・娘「異議なし!」

と、いとも簡単に同意を得られたので、どうせならと納骨までお願いするコースでエントリーしたのです。あー、これでとりあえず葬儀費用や戒名、永代使用料とかと無縁になれました。生き残った人たちに迷惑掛けずに死ねそうです。ご興味持った方は『献体 〇〇県』ググってみてね。

死ぬ前に訪れる【週末医療についての希望】。これはいずれ60歳になったらきちんと書面にする予定ですが、今は口頭で度々周囲に言いふらし中です。「終末期の高度医療は不要。老衰や治らない病気により経口摂取で十分な栄養が摂れなくなったら、私の細胞が死ぬ用意を始めたと思って点滴を絞ってほしい。胃瘻増設は望まない。痛みや苦しさを取る緩和ケアと清潔だけは保持してほしい。」等々。

そして【通夜・告別式についての希望】。こちらも主に娘に申し伝え済みです。『私自身、死んだら献体先に電話してすぐに運んで貰いそのままおさらばで構わないのだが、もしもあなたや夫が、もう少しゆっくりとお別れをしたいと願うのならば (鮮度は下がるが)通夜をしてから運んだっていい。後日遺体無しでのお別れ会をやってもいい。通夜も告別式も死んだ人間の為じゃなく、残された人間の為にするものだから、好きなようにしてくれていい。死人に口なし、それそれの遺族が死を受け入れられればどんなだっていい。ただ、使える金は僅かだから覚悟しろ。頭を絞って工夫して、残された金をどう使うのがよいのか考えろ。』と言ってあります。

それから行ったのは生命保険と金融機関の口座の整理です。

【生命保険】は、死亡時にまとまったお金が降りるタイプを解約し、代わりに掛け金がくそ安い上に毎年おおむね半額戻ってくる県民共済に加入。がん特約が付いた医療保険はそのまま残しました。医療保険が次に満期になったら解約して、認知症保険に入ろうかなと思っています。

【預金口座】はカード決済やイデコ引き落としで使っているメインバンクと、現在の給与振り込み先の地銀のみ残し、休眠口座も含め2銀行・1信金を全て解約。この先もしメインバングが最寄の支店を閉鎖するようなら こちらも思い切って解約したろ!の精神です。

【断捨離】。徳島に移住する前にかなり思い切って整理しました。歯科医療、高齢者福祉等の専門書やお気に入りだった本を売りました。DVD,CDのうち娘が欲しがらなかった物も全部一緒に売りました。20代の頃に自分でローンを組んで買った数枚の着物や帯も売りました。アクセサリーのうち金、プラチナは売り、それ以外は全て捨てました。ジモティーを利用して趣味のグッズや雑貨、使ってない電化製品などをタダで持って行って貰いました。箪笥にかなりのスペースが空いて、心身ともに身軽になりました。

それでもまだまだ衣類や、趣味で集めて保管していたコインなど未処分の物があります。ちょっとずつ整理していきたいと思っています。衣類に関しては、どうしても女性の場合季節ごとに増えやすいので、「一枚買いたかったら二枚捨てる」ルールを導入したところです。

生きている以上、どうしても所有しなくちゃならない物ってあるから、それを自分が動けなくなったり死んでしまってからひと様に迷惑をかけないよう、沢山持たないよう意識していかなくちゃなと思っています。

因みに私の母は存命なのですが、安物買いの銭失い、物欲の塊みたいな人で、使いもしないマットレスやコンパクトミシン、健康グッズにテーブル、履いてない色違いの靴三足、効果もわからん低周波治療器など、地価の高い東京のマンションの一室を丸々荷物で埋めてらっしゃいます。使わないくせに手放そうともしません。彼女の死後、遺品整理はプロに頼むのが得策と もはや諦めています。







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