見出し画像

それでも人とつながって 010 障害3

『彼女に支援が必要なんですか?』


以前。私に答えられない問いを投げ掛けてきた一人の女の子。
知的障害だという。(それでも人とつながって 003 障害2)
そう言えばあの時の質問にまだ答えられていない。

その子と出会ってから爆発的に多様な出来事が巻き起こった。知的障害。自分には未知の分野だった。その子から色々な活動に誘われる。とにかく付いて行く。最初は何も分からなかった。一緒に行けば何かが分かると思った。でも何を経験してみても余計に分からない気がしてくる。いつまで経っても分からない。今の方が前より分からなくなっている。そんな気持ちになる。

その日もその子からある活動に誘われて二人で出かけた。
そこの活動をしている関係者と一対一での会話中「あの子は凄いですね。リーダーシップもあって話が上手で。知的障害者には見えないよなぁ」という言葉のどこかに違和感を覚えて少し考えたが、ええ凄いですと相槌を打つ。相槌にさほど違和感は感じない。あれ?だったら今の感覚はなんだったんだろう。なんで瞬間的に違和感を覚えたんだろう。また少し考えた。

活動を通して多くの様々な出会いがあった。
たくさんの知り合いや仲間。友達。偉大な先人。師のような存在も出来た。
あなたは専門家じゃないから良いのよ。と言われたことがあった。
そう言われると嬉しいような、自分の無知を恥じるような。ちょっと複雑な気持ちになる。けど良いのか。専門家じゃないと駄目よと言われたら元も子もないんだから。自分の感覚を大切にしたい。いつも自由に感じたい。それを誰にも押し付けたりはしないから。

いろんな土地に出向いた。だいだいどこの活動も当事者主体ということを話されていた。その時はこれも耳慣れない言葉だった。なんだか面白い所を軸にするんだな。いろいろな背景や様々な特性があるのは分かるけど。それって人にされるものかな。他の人から自分主体を求められるなんて。放って見てれば分かるんじゃないかな。いつからか。その言葉を聞くと何となくそんなふうに感じるようになっていた。

そんな日々を重ねながら。ある日。思春期前後の自分と元気あふれる幼馴染たちを思い出していた。自分達は見た目的には派手に見えたかもしれない。大人の目から見ると駄目な奴らに見えたかもしれない。それは行動も。目が離せないと思われていたような気がする。どうせろくな事はしないと思われていたような気がする。いつかきっとこんな事まで仕出かすようになるぞというふうに扱われていた気がする。そんな大人達とは距離を置いていた。

幼馴染たち。小さな頃から一定の範囲の中で育っている。そんな中で時間が経つと共にあの頃と違って勉学一筋になっていったり運動一本になっていったり。少し目立つような行動を取るようになっていったり。派手で乱暴に見えるようになっていったり。みんなそれぞれだ。でも大きくなっても小さかった頃からのお互いを見ている。だからなのかな。どんなふうになって行ってもお互いの関わり方は変わらなかった。全然タイプが違うように見えても仲は良かったり遠慮なく物を言い合えたり。付き合いが続いた。
そして何より素直に自分の事を話せたり。

また知的障害者だという女の子から活動に誘われた。今度は遠方になる。
最近、遠方に赴くことが増えてきていた。この子と知り合わなかったら絶対にそこへ行くことは無かったろうなと思った。
広い範囲で見て。当事者主体の活動をしているグループや大きな団体が主催している当事者主体の活動についての多数の集りだった。大会とされていて。その名の通り開会の挨拶も進行も会場も参加人数も一大イベントのそれだった。

自分はその子の支援者と紹介された。この言葉にも自分の身体に合わない何かを感じてしまう。違和感の持って行き場が無くその子に目配せで「支援者?」というふうに合図を送ると「良いんじゃないですか?」と小声で答えた。この場でこの子がそう言うならそれで良いかと納得することにした。
もし。この子も「?」と返してきたら大勢の観衆の前で手を挙げて訂正を求めたかもしれない。非専門家どころではない。危険人物だ。

会は盛況のうちに幕を閉じた。プログラム自体は終了したが、その後に懇親会のような場が設けられた。遠方での開催だったので今日は宿泊。自分は宿泊施設に帰りたかったけど、その子は参加すると張り切っている。見れば会場には美味しそうな物が並んでいるのでそちらに魅力を感じた。その子は「適当にしててください。何かあったら呼びます」と言って方々へ行って色んな人と楽しそうに関わっている。ならばこっちも楽しもう。

大きな会場を囲むように壁に沿って料理や飲み物が並んでいる。一通り料理を取って適当なテーブルについて食べる。美味しいなぁと思いながら、こんな大きな会場で大勢で居るのに一人で黙々と食べてるのってなんだか可笑しいなと考えた。こういうのって少し寂しいかもしれないねとも。

「ここの席空いてますか?」一人の女性がやってきた。ええどうぞと返事をすると着席する。軽くどうもと挨拶を交わすと「あの子の支援者さんですよね」と尋ねられる。改めて質問されるとなんだか答えにくい。思わず本人に聞いて貰えませんかと言いそうになりながら、あの子が小さな声で「良いんじゃないですか?」と答えてくれた事を思い出しながら「ええ」と返した。

その女性も多くの人と同じように「彼女は凄いですね」と話す。何のことだろうと思いながら自分が度々感じている「人付き合いの能力が凄いですね」と答える。女性はあぁそうなんですねと少し期待外れな感じのする雰囲気で『彼女に支援が必要なんですか』と言葉を続けた。一瞬自分が何を言われたのか分からなかった。

分からなかったので率直に「何がですか?」と聞き直してみる。すると『彼女にはどんな支援が必要なんですか?』ともう一度問われる。
何を聞かれているのか分からない。時が止まったような気がした。

暫くどう話そうかと考えていると、また女性の方から切り出した。だいたいこんな感じの内容だったと思う。彼女に支援が必要には見えない。そんな彼女は凄い。一体どんな支援が必要なんだろう。知的障害者に見えない。
そんな話だった。
自分には「場面によります。自分と同じです」と答えるのが精一杯だった。
呆れたような顔をされてしまった。噛み合わないと思われたようだ。
女性は儀礼的な笑顔で席をたった。
その後にはもう声を掛けられる事も近くに来る事もなかった。

懇親会は終わった。知的障害であるという女の子が戻ってきた。
「飲みに行ってきて良いですか?」と言っている。「行きたいなら行くと良いよ。何かあったら電話して」と答えて自分は宿泊施設に戻った。
ベッドに寝っ転がる。

さっきの女性の話を思い出していて突然「あっ!」と思うことがあった。

自分の少年時代。
元気あふれる幼馴染たち。大人達にいつも疎ましく思われていた気がする。
どうせコイツらは。いつもいつもそんなふうに思われていると、それはそんなふうな期待もされているような気がしてきて不思議に思ったことがある。
どうせお前らは何か仕出かすんだろうと。

そうか。今日何かと違和感を感じたのは『障害者だから支援が必要なはず』こんな前提を感じたからなのかもしれない。
派手で目立っていたあの頃の自分達を見る大人の目と何処か同じ気がした。
この厄介な子たちには「更生が必要なはずだ」と。その前提って何だろう。

違和感の正体は『障害者らしくないから「凄い」』と言っているように思えたからか。彼女は凄いというその言葉。
どんな気持ちと考えから出ていてそれはどういう意味なんだよと思った。

なんで先に分類があって行動を予測するんだろう。
そうか。だから自分は違和感を感じたのか。

ボーッとしていると電話が鳴った。知的障害であるという女の子からだ。
「あなたも飲みに来ませんか?皆があなたを誘えと言ってます」
行く行く!と答えて部屋を出た。
これだけで気が晴れた。
見たか。俺たちはそんなんじゃないんだよ。


これは障害の巻の三。この後に続く体験はまたの機会に。

もし読んでくださる方がいらっしゃったなら。
お読み頂いたあなたに心からの御礼を。
文章を通しての出会いに心からの感謝を捧げます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?