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読んでこなくてもいい読書会;これからの仕事との付き合い方を考える〜『ブルシットジョブ』を紐解きながらのちらだし

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23日0930〜オンラインでこれからの働き方について、最近話題の『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』を紐解きながら議論します。

軽くちら出しすると、

彼の問いはここです。

p.254
なぜ週四日労働と年間四ヶ月の長期休暇が実現できないのか?あるいは、なぜ、せめてもっとのんびりすごすようにならないのか。

p.206
三つの問い
1 個人的な次元 なぜ人はブルシットジョブをやることに同意しているのか
2 社会・経済的次元 ブルシットジョブをもたらしている大きな諸力とはなんなのか
3 文化的・政治的次元 なぜ経済のブルシットかが社会問題としてみなされないのか。なぜだれもそれに対応しようとしないのか

そして、その鍵の一つは「経営封建制」にあるとします。

<経営封建制の登場>
p.238
物財を実際に製造し、運搬し、保全するよりもその物財や分配を基盤におき、それゆえ、システム上部と下部の間に諸リソースを回す作業に人口のかなりの部分が従事する政治ー経済システムにおいては、その人口は複数の層が複雑に位階化されたヒエラルヒーに組織化される傾向があると。(中略)上位者への服従がしばしば仕事内容の中核を占めるからでる。重要なプレイヤーのほとんどが領主であり家臣なのだ。

<経営封建制がなぜクリエイティブ職で根付いたのか>
p.239
組織内における付随的なブルシット・ジョブの多数がこうしたインターナル・マーケティングの儀式の周囲に配置される傾向があることについてはこれまでみてきた。プレゼンテーションや報告書の準備、編集、コピー、画像制作のために雇用された人々がその具体例である。

これについて議論を進めます。

p.22「ブルシットジョブは、単に無益だとか無害だというだけはない。一般的にある程度の欺瞞と詭弁にまた関わっていなければならないのだ。その仕事の存在する確かな理由があるように取り繕わねばならない。」p.27「被雇用本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で不必要で、有害である有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないうように感じている。」

p.48「オフィスワーカーが本来の職務に費やす時間の素量は2015年と比べると2016年には46%から39%に減少している」p. 47「余暇にあふれた社会へと変化することも、週間20時間労働の社会を設計することも私たちにとっては容易だろう」「私たちが置かれているのは、世界になんの影響も及ぼさないと自分自身感じてる課業を推敲することで仕事の時間の大半を費やしているような社会なのである。

ブルシットジョブの種類は、第二章のまとめになりますが、

【ブルシットジョブの類型】

(1)取り巻き(flunkies):誰かを偉そうに見せたり誰かに偉そうな気分を味わわせるための仕事;別の言葉で封建的家臣、奉公人、子分例:高級ホテルのドアマン

(2)脅し屋(goons): やくざ、ならずもの、ごろつきを意味しているのではなく、脅迫的存在かつ、その存在を他者の雇用に全面的に依存している人間たち。キーワードは脅迫性と欺瞞性。例;ロビイスト、企業の顧問弁護士

(3)尻ぬぐい(duct tapers):ガムテープ。組織にとってあってはならない問題を解決するための仕事。目上の人間の不注意や無能さが引き起こした損害を現状復帰させるしごと。例:ソフトウエア開発におけるあるプログラムを様々なプラットホームで作動するような互換性をとる作業(無償のソフトウエアが増えたため、有償雇用がますます尻ぬぐいになっていく。他にクリーニング。

(4)書類穴埋め人(box tickers):組織が実際にはやっていないことをやっていると主張できるようにする仕事。行政内部の文書、大学内での文書づくり。

(5)タスクマスター(taskmasters):①他人への仕事の割り振り、②他者がなすべきブルシットジョブをつくりだし、それを監督すること。※上記の分類は網羅的ではない。

最近では(1)イマジナリー(想像上の友達);人間味のない企業環境を表面的に人間的ものすべく雇われた人々。例 セミナーやイベントなどのスタッフなど
(2)二次的ブルシットジョブ;ブルシットジョブを支えている仕事(例)清掃事業

なぜ、課題というと、

p.141
経済学からもかなりシニカルな一般常識からもおよそ見落とされている、(中略)人間は、他者との恒常的な交流が絶たれたならば衰弱ー肉体的な崩壊さえもーきたしてしまうほどに社会的存在である。(中略)こうした行為主体としての感覚が絶たれたならば人間はもはや存在しないも同然である。

p.121
まず、役に立つから雇用されたように扱われる。そして、そうであるように調子に合わせてふるまっている。ところがそれと同時に自分が役に立つからではないからということも痛烈に自覚している。このようなあり方がひとに甚大なる悪影響を及ぼしてしまうのである。それは個人の自尊心を損ねているのみならず、わたしはわたしであるという根源的感覚に対する直接攻撃なのだから。意味のある影響を世界に与えることのない人間は存在することやめてしまうのだ。

p.143
ブルシット・ジョブにおいては、先述のように仕事総体が、そのような【まるごと他者の権力のもとにある】原理のもとに組織された仕事なのである。自分が働いていること、あるいは、働くふりを続けるのは、なにか相応の理由、少なくとも自らがそう実感できる相応の理由があってのことではなく、ただ働き続けることそのものが目的であるにすぎない、それにひとにとって苦しみであっても驚くに値しない。

p.195
健康や自尊への影響はしばしば大きいものがある。創造性や想像力もぼろぼろに砕け散る。サドマゾヒズム的な権力の力学が頻繁に現れるのはここである。

p.251
<現在の法人資本主義・金融資本主義の変化は資本主義そのものを変えた>
もしブルシット・ジョブの存在が資本主義の論理に逆らっているように見えるとすれば、、ブルシット・ジョブの増殖に対するただ一つの在りうる説明は、今のこのシステムが資本主義ではないということになる。
p.252
そこでは経済の命法と政治の命法とが大幅に融合をはじめているがゆえに、ない的論において資本主義とは全く異なっているということになる(中略)。古い産業資本主義にとってかわるとよりも、装置総体がそれに折り重なって無数の地点で、融合し合っているというべきであろう。

そして、どうしてこの動きがとまらないかというと

p.315
ブルシット・ジョブが増殖しているのは、大部分富裕国の経済が支配するようになっている経営封建制の得意な性質のゆえである。ブルシットジョブが惨めさをうみだしているのは、世界に影響を与えているという感覚のうちに常に人間の幸福が織り込まれているからである。しかしながら、それと同時に仕事によって生み出される社会的価値が大きければ大きいほど受け取る価値は少なくなるだろうということにも、大抵の人が気づいている。

p.316
まさに、惨めさとサディズム、空虚さ、絶望の場所であるが故にこそ価値あるものである仕事という教義にによって常に補完される。

p.319
<経営封建制のもとでの政治文化が、いかにさまざまな反感の均衡によって維持されているか>
p.330
反感の均衡の対象は、報酬と社会的便益の逆転関係という原則に反している事例となっている。

「リベラル・エリート」の面々とは、われわれのつくる行列に並ばず最前列に招きいれら得るような連中であり、それでいて愉快かつ高給、さらには影響をあたえるような数少ない仕事を独占しているーのみならず社会正義はわれにありといった風情で子をあげているーとみなされてる。体をこわすほどつらく苦痛に満ちてはいるものの、社会的に有用であるという点では有用であるという点は共通するはずの労働には興味関心もむけない「リベラルエリート」たちは労働者階級の反感の的である。

p.342
「価値」と「諸価値(相互形成とケアリング)」の対立という観点からすれば、いま、私たちが目の当たりにしているのが諸価値を価値の論理に包摂せんと」するくわだてであることはいうまでもない。

p.345
<仕事と報酬を切り話すことベーシックインカム>
p.360
無条件の普遍的サポートは、(中略)、第一の論点は、ヒエラルキー的労働組織のサドマゾヒズム的力学である。(中略)「ノーマル」な人間が同じ力学にはまり込んだ時、そうした簡単な脱出方法は存在しないということである。
二つ目の論点は、いまあるものよりも労働の配分が非効率になるということが果たしてありうるだろうか(多分ない)。

これは勉強になりました。正統的なウェーバーとミルズ、そして、ウォーラーステインの流れかもしれません。是非ご参加のほどを。


ありがとうございます!