おやかたり2

「かわいそうに」

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例えば

私は母親を許すことができます

「生みの親にして育ての親

母であり親であるその者が

母親であろうとする限り

あるいは私がその子供であろうとする限りは

その間柄は続くでしょう」

こんな文言で綴られるその「母親」は

俗に罪と著されるそれを犯しました

昨記にて語る私の全生機は

その母親によって「生きる意味」を与えられ

そしてその「価値」は後継機たる私にもまた継がれました


「生きる意味」


それを罪とみなす私の倫理観は

死を救済とみなすような宗教論ではなく

この場合は単に

生とゆう物が生み出す苦しみに焦点を当てたものと思っていただいて構いません


しかしさりとて

罪は罪

許すことができるのです

それにより生じた私様の「夢」を引き合いに出さずとも

かの者が母親である限り

私はそれを許すのです

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では

ではかの「父親」はどうでしょうか

恨みつらみ連なるかの者はどんな罪を犯したのでしょうか

己の絶対的な正当性を元に出でた暴言暴論の数々が罪たり得るのでしょうか


いいえ

私はそれを罪とは認めません

遅れ馳せながら語りますが

この「罪」とはあくまでも当人にとっての罪なのです

当人がその思考の行く先にて抱くはずの罪悪なのです

今その者が気づかずとも、いつかその果てに

背負うはずの罪なのです

・・・これはつまり「私が他人の内心を決定づけている」とゆう事実を表面化したことに他なりませんが

、誰にも届かぬこの文言においてそれを気にする事はやめておきましょう

私様の罪なんて、いちいち数えちゃいられない


さりとて

かの「父親」は正しさだけで出来ている

正義にして正当にして征伐を行くかの者は

その実、何の罪悪も抱いてはいないのです

どれだけ

誰に悪しく思われようとも

罪を自覚する事はありません


だから

私は

罪なきかの者を

許さない


ないものは、許せませんからね

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さてさて私は、私様は

罪なきかの者を許すことが出来るのでしょうか

その手法手段をまたこれより考えますゆえ

これにて長き「おやかたり」

閉幕といたします

どなたが見ているか分かりませんが

ご視聴ありがとうございました

せいりゅうより






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