日記20240523あるいは承認欲求

人は特に必要がなければ死んでしまうのだと。

思っています。
社会にも学校にも家族にも、果ては自分にも必要とが無いと考えた思春期の私は、だから「死ななくては」と焦っていました。そりゃあそうでしょう?使わないソフトがあったら容量を圧迫しますから、消すはずです。合理的に。
外側からはどうも必ずしもそうゆう考えではなかったようで、私はそれからも暫くの時間を与えていただきました。社会からは若さとゆう権利を。学校からは高校卒業の資格を。家族からは生活を。そのおかげでなんとか今も生きています。

社会にはまだ価値を与える事ができていません。
学校とは現在関係が薄く、
家族には家事の数点ができるくらいのもの。
自分には…

えーと、暗い話がしたい訳ではなくってなくって、つまり、私は、誰かの役に立ちたい。
社会の役に、コミュニティの役に、家族の役に。そして、自分の役に。
そうする事が、きっとたったひとつの生きる意味を感じることができる方法だから。
たとえそれが幻想だとしても

ねっ?


ジョギングを朝早くにしたくて早寝の習慣をつけようとしたら、虫に頭上を飛び回られて睡眠時間がきっちり2時間削られて、おまけに「仕事」が積み重なって精神力が落ちてしまって、そうゆう時に限って何故か眠れない夜。
、に考えたそんなあれこれ。

おやすみなさい



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