君はなぜ何度も家を捨てるのか

久々に長文を書きます

1年前にも行いましたが、ほぼ家に帰らない生活をはじめて1ヶ月が経ちました。
完全ホームレスというわけではなく、まだ契約中の借家があります。ただ近い内に手放す予定です。
そのための準備といいますか、リハーサルをいま行っているところです。

なぜこの生活を始めたかを言いますと、多くの面で合理的だと感じたためです。
僕がいま払っている家賃は、1年間にだいたい120万円。
昼夜仕事をしておりあまり家にいない僕にとって、まず削るべき出費はこれだと考えました。
幸い僕の仕事はPCがあれば完結するため、場所を選ぶ必要がありませんでした。

そもそも論ですが僕は片付けが得意な性格ではありません。
狭い部屋でも荷物は散らかり、いろんなものを無くします。
そして買い足してはまた無くす。そのループ。
それであれば、端からスーツケース1つだけを持つ生活にしようと思い立ったのがきっかけの一つです。

とはいえ避けられないデメリットも存在します。
それは他人からの見られ方です。僕も最初は嫌でした。
なぜなら何となく昼間から大きなリュックとスーツケースを持って、外を出歩く僕に向けられる視線は「不潔そう」「仕事してなさそう」と思われていそうで、それは屈辱でしかありませんでしたので。

ただ、そんな悩み以外に、現実的に向き合わ合わなければいけない問題として「洗濯・風呂はどうするのか」「睡眠はどのように行うか」「住民票をどこに置くか」といったデメリットのほうが実は大きく苦戦しました。
要するに「定職に就いたまま、周囲にそれを感じさせずにホームレスになる方法」です。

その回答はググっても出てきませんでした。
世の中には"ミニマリスト"なる、あまり荷物を持たずに生活をしている多く存在していますが、彼らは家を持っておりあまり参考になりません。
参考にしたのはカバンひとつで世界中を旅している"バックパッカー"の方々です。

彼らは気候も違う各地を転々とし、ときに野宿、ときにゲストハウスで夜を過ごします。
ひとつ違うのは、国が違うため気分も大きくなり、他人からの見られ方をあまり意識していないという点です。
要するに、最悪2-3日風呂に入らなくてもいいという覚悟を持っているのです。当たり前ですが。
ミニマリストはその点では清潔です。なのでこの両者の良いところどりをしようと意識しました。

まず拠点ですが、これは全国のネットカフェにしました。
全国すべてのネカフェが埋まることはまずあり得ないので、これで睡眠場所の担保はできました。
本当に寝たいときには個室ビデオを使います。料金は1000円ほど上がりますが、防音個室の環境が手に入ります。
ホテルは高いので最後の選択肢として持っておきます。

とはいえ不潔な環境だというイメージがあります。
なので僕は常にファブリーズとウェットティッシュ、マスク、耳栓、アイマスクが常備しています。
この装備でだいたいの環境に適応できます。といってもこのすべてを使用することは稀です。
どこかに住んでいても「隣人がうるさい」といった問題は発生しますよね。それと同じです。

風呂は会員制で全国展開している24時間営業型スポーツジムのシャワーを使うことにしました。
ネカフェにもシャワーはありましたがさすがに不潔なイメージがあり、使いたくありませんでした。
その点、スポーツジムは定額制ということもあり「一定の所得がある方が使用する」という安心感があり、とても綺麗です。当たり前ですが運動も同時にできるので個人的にコスパ最強でした。

洗濯は当たり前のようにコインランドリーを使用します。
しかし街のコインランドリーは不潔なイメージがあるので使用したくありませんでした。
そのため考えうる限り清潔な場所を考えた結果、ビジネスホテル内のコインランドリーを使用しています。
規約としてランドリーのみの利用についての制限は無いらしく、宿泊者ではありませんが洗濯だけさせてもらっています。

仕事は現在の職場のほか、全国にあるフリーのワーキングスペースを利用しています。
ドリンク無料、wi-fi完備といったスペースも多いため、打ち合わせにも便利です。
住民票は言わずもがな、どうにでもなります。

これだけを説明すると「ストイック」だと言われますが、自分ではそうは思っていません。
キャッシュはカードに、そして電子マネーになり、本や映像もネットで楽しめる時代になりました。
メモ帳/スケジュール帳/カメラ/レコーダー/メディアはすべてがスマホ1台で完結します。
つまりモノを持つ行為自体が嗜好となり、モノを持たない選択肢が生まれたということです。

去年同じような生活を行い、そこまで不便さを感じませんでした。
それは社会がフリーアドレスに適応しはじめ、肉体がどこにあろうと精神がバーチャライズされデジタル空間にあれば、それは生きていると同義だということを物語っています。
そのため僕のこの行動はある種の社会的皮肉であり、文化適応への主張だとも言えます。

最後に結果ですが、全体的に支出のベースは抑えられました。
具体的には家賃は4万円ダウン、光熱費や余計な買い物も減ったため、その点でも大きな節約に繋がりました。
唯一、移動費だけは上がりました。それは拠点が無くなったため半強制的に行動する機会が増えたためです。
ポジティブに捉えるのであれば、それは家でダラダラする時間をなくしたとも言えます。

生産性は間違いなく向上し、この持たざる生活がやはり自分には合っているのだと実感しました。
これはすべて不規則な勤務形態に理解していただいている所属組織がいなければ成立しません。

夏まで続けたい所存。夏は死にそう。

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