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「治療ということ」野口晴哉

資料を整理していたら「野口整体」の創始者、野口晴哉(のぐちはるちか)先生の語録が目に留まりましたので、備忘録としてご紹介いたします。

治療ということ

治療ということ、薬を服し、電気をかけ、また指で押圧したりすることに非(あら)ずして、受ける人自身の裡(うら)なるはたらき也(なり)

それを促す手段を世の人々治療というも、治るということをその手段に求めて、薬や治療行為を追い求め、自分の体の裡なるはたらきを喚び起こすことを忘れているが故に、手段が多く工夫されるほど治療ということ失う也。

いよいよ治療の手段を求め、養生の可(べ)からずに立て籠(こも)れど、裡なる治療のはたらきはその為に萎縮し、人間が弱くなるほど病気や不養生は増して、人の世は忙しくなる也。

治療行為を受ける人のみならず、それを行う人までが、治療ということを機械や、薬が行なう如(ごと)く考えて、ペニシリンが無くては治療できず、レントゲンが無くては診断できぬものの如く思い込んで、人間というものが薬や機械の下敷きになっている也。

されど治療ということ、病菌を殺すことに非ずして、人を活かすこと也。その人間を動けなくしてしまうようでは、治療とは言えぬ筈(はず)也。

脚下(きゃっか)を照顧(しょうこ/反省してよく確かめること)し、人の裡なるはたらきに覚醒(めざ)むるの日に、新しき治療の道拓かるる可し。

その日を待つに堪(た)えず、敢えて筆を持ちて、その日を招かんと欲する也。

治療ということ、人を活かすこと也。人を活かすということ、同情や慰安によっては為し能わざる也。痛みを制し、苦しみを和らげるもまた一時のことにして、人を活かすということと、その活きる力を自覚せしめ、活き活きと、苦しさ痛さに堪えしむること第一也。

もともと病症といえるもの、人体の健康復帰運動にして、これを制して治療ということ無き也。これらの病症を制することを以て、治療也と考えているは臆病なる人々の錯覚也。

病気を治すこと治療に非ずして、自ら病気が治るような体や心になること何より也。胃のはたらきも、心臓のはたらきも、心の動きに応ずる也。治療に心のこと忘るるは、人の生きるを知らざる也。

病気の恐ろしきこと知らば、恐ろしくなきこと悟らざる可からず。怖さを知ることと、脅えることとは異なる也。火は恐ろしき也。虎も獅子も恐れる也。然れども、人は鼻先の煙草にその火を付けて楽しむ也。

病気の恐ろしさ知りて、これを用いること知らざるは、未だその性質を真に
知りたるに非ず。

熱が出ても病菌が付いているなら当たり前のこと也。悪しき食物を食して吐くも当然のこと也。これを病気といわば、蛇が皮を脱ぐことも病気也。蚕(かいこ)の眠ることも病気也。もっとも病気ということ斯(か)くの如きもの也。それを病気と認むるところに病気がある也。

それ故、病気を治療するということ、心を定むること第一也。病気を病気ならしむる心を先ず去らしむる也。

体の眠れるはたらきを喚び起こすことその次也。而(しか)して病気は自ら治る也。

病気の治りゆくを手伝うはその次のこと也。

今の人、このことを忘れて、先ず病気を治さんと為し、自分の力を発揚する前に薬や機械の力を借りんとする也。

しかも、自分に治療するはたらきあるを忘れ、薬や機械の下積みになる也。病気にもまた組みしかれ、治らないままに苦しむも、また致し方なき也。

昭和二十二年四月

*原文に使われている漢字に( )で読みなどを捕捉しています。Web上で読みやすいよう原稿のレイアウトを変更しています。

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