フランソワ・クープランの楽譜に想う
19(東京 茗荷谷ラリール)、7/22(神戸 六甲アイランド,ラ フルート アンシャンテ)で、ヴィオル奏者の品川 聖さんとフランソワ・クープランのプログラムでの公演を行うので、フランソワの楽譜を精読している。
当時の人たちが見ていた出版譜を見ると、私個人としては彼の楽譜は一層「考え抜かれた楽譜」のように見えてくる。「考え抜かれた」という言葉を用いるのは正しくはないとも思うのだけれども、彼の音楽の世界、あるいは彼が五感やそれ以上の感覚をもって表そうとしたものを「なんとか楽譜に起こした」というのが理解できる。
だから、文明の利器を頼って楽譜浄書ソフトで出力しようとすると、辻褄が合わなくなってしまう箇所が多々出てくる。”現代の記譜ルール”とはずれてしまう点が多々ある。
これはフランソワ・クープランに限って言えることでは勿論ないのだけれども、作曲家の微妙なニュアンスというのは、本当にアナログなもので、デジタルな世界ではないことの証拠にも思うのだ。
微妙な部分をいかに極力シンプルに伝えようとしたか….それがバロック時代の楽譜かもしれない。
勿論、それは現代人の視点から思うことでもあるし、楽譜はあくまでも音楽の骨を記したメモでしかなかったり、楽譜を手にする人は今のような誰しもというわけではなかった、という背景もあるのだけれども。
そんなことを思いながら、今月はフランソワ・クープランのヴィオル組曲とクラヴサン作品を演奏いたします。
関西を拠点に演奏活動を行なっているチェンバリストhttps://www.klavi.com