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言葉と文章

ずっと長い間、何かを伝える手段として言葉を使う事にためらいがありました。

否定され、誤解され、曲解されて伝える事を諦めていた期間が長かったから。

伝えたいのは言葉にならない何かでしかないからと。

それを指し示す指として使うのであれば言葉や文章も音楽や絵画や写真や踊りや祈りと同じ事だと思えるようになったのは、全て受け取る側次第なのだと理解できたからのような気がします。

それと私自身の中に在る怒りや悲しみやそういうマイナスイメージの感情を認めて手懐ける覚悟ができたからかもしれません。

パンドラの箱の底には希望が残っている事を信じて開いてみる事にしましょう。

そこに存在するのであればなんらかの意味があるはずだから。

クチナシの花の香りを一緒に体験した事が無くても、クチナシの写真を見ればその香りを思い出す事ができる人は存在するのだから。

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