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今ここに居るということ

久しぶりにnoteに書き込みに来ました。

言葉にしたい思いが溢れてきたので。

忙しく予定をこなすだけで精一杯の日々に変わりは無いものの、いやむしろそこに何かを足すのかそれとも引くのかとは迷いながら、さらに興味の赴くままにご縁をいただいて見学に行った団体の話をしたい。

古楽を歌う団体の見学のお誘いにお応えしたのはsnsでお見かけした方とか団体のご縁でした。

その前に自己紹介がてら、私の音楽歴を記します。10余年前に、学生の頃以来の吹奏楽団体に所属した時は、高校の同期会で会った同級生から中学のOBバンドが活動しているというお知らせから始まりました。

およそ30年に及ぶブランクを取り戻すべく、他の団体にも参加してみたり、諸事情で退団したりを繰り返して来ましたが、その中でオペラのバンダを経験する機会があり(吹奏楽団体の指揮者がオペラの副指揮だった)そのご縁でオペラ合唱にも参加。全く違う視点からの音楽への理解は新鮮だった。

ちなみにsnsを始めたのは、せっかく参加している団体の演奏会をお知らせして、より多くの方と感動を分かち合いたいという下心によるものですが、思いの外、今という時代を覗き込む視点として面白かったので、すっかりハマってしまいました。

興味の赴くままにsnsとYouTubeを行ったり来たりしながら、私は何をしたいのか?私とは何者なのか?と自らに問いかける日々。

音楽をすることは既に亡き父の生きた証。今の私にとっては、もはや生きることと同義である。その為に働き、限られた時間と経済力を注ぎ込んで、ややもすると睡眠時間を削ってしまう。

何故そこまでするのか?身近な知人は回遊魚なのだろうと評しているが私もマグロだからね?と返している。止まったら死んでしまうと、私に感じさせているものは何なのだろう?私はそこまでして何を追い求めているのだろう?

その答えに少しだけ触れたので言葉が溢れているのだと思う。

その説明として、次は母の話になりますが、半世紀余り前に30代で自死を選びました。私が生きることはその謎解きであり答え合わせである側面は否めない。

父と母はクリスチャンだったようだ。通っていた教会でお世話をしてくださる方があり一緒になったらしい。

信仰を同じくしていたはずなのだが、母はとあるキリスト教系の新興宗教にハマってしまい、布教の訪問活動に連れ歩かれたり、大きな大会に参加したりした記憶があり、尚且つそのことで父と揉めていた記憶もある。

キリスト教に救いを求めていたのに、そこで何より禁じられている自死を選んだのは何故なのか?

私が音楽の理解を深めようとすると必ず教会に辿り着く。そこにその答えがあるような気がする。

畢竟生きるとは如何に生きるかを問い続けることであり、その都度、死と向き合い命を寿ぐことであると、頭では理解しているし、言葉にすればそれだけの話なのだけれど、如何にそれを実現するのか?これは人により状況により大きく変わる。そのよすがとしての宗教はかなり危うい。全てを委ねることを求められるから。そこに何らかの否定が入れば生きてゆくことがいきなり難しくなる。

母は、そんな狭間で生きることを問うていたのかと思うことにしている。

はい、前置きが長くて申し訳ありませんでした。

私の理解では宗教の求めるところは、如何に今ここに生きるか?ということに尽きると思っている。

その手立てとして音楽は優れていると、思っている。

仕事に疲れて満員電車に揺られて練習に行って何故か生き生きとした気持ちを持ち帰る。けれども結果睡眠不足に陥って、珍しく休みがあると睡眠負債の返済のために溶けてしまう。

そんなギリギリの生活に、またさらに何かを付け加える?とは思うのだけど、まず知らないことを知る喜びは何にも増して生きるためのエネルギーになる。

お待たせしました。やっと見学の話ができます。

武術を嗜むという指導者ならではなのか?まず身体の使い方から入る。その説明が、「後ろに飛んできた矢を避けるように」とか「引き戸を開けたら虎がいるかも知れないと、意識して」とかなどである。もう今ここに身体と意識を全集中することに於いての武術の修行のようである。

呼吸して声を出すこと。音程をはかること。階名唱。何をするのかを聞き取りながらついていくのに精一杯であっという間に時間になってしまい、ご挨拶しつつ、帰宅の途へ。翌日は早いし時間も遅いのでまっすぐ帰って布団に入ったらほぼバタンキューで、朝の通勤中からの振り返りの続きをお昼休みに記しつつ、記憶に残っている言葉を記す。曰く「喉を締めずにリラックスして声を出す(吐く息への意識)」「せっかくの美しい音楽を演奏で台無しにしないように」何よりお手本を示してくださるのがありがたい。思わず聴き惚れてしまう。

来年の1月に演奏会が予定されているというので、それまでには参加したいと思いながら、入団するタイミングをはかっている。

6月に吹奏楽の演奏会が2つと7月にオペラ合唱参加が控えていて、いろいろ追い込まれている。またまた楽しい悩みが増えてしまった。

生きること、知ること、体験すること、それを重ねること、どんな苦しみも喜びの糧にすることができるよ?といつか母に伝えたいから。たくさんの人と音楽を分かち合うことができたよ!といつか父に伝えたいから。そのように生きることが可能であると子供たちに伝えたいから。

久しぶりに思いを言葉に乗せて記すことができた。そんな刺激をいただきました。

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