見出し画像

音の消えて行くところ

snsで見かけて気になって、その演奏会のチケットを購入したはずだったのだけれども、慣れないインターネット上のことゆえ届くはずのメールは届かないまま、利用案内のお知らせと申し込み番号だけは届いて、問い合わせをしたまま、そのお返事メールが来ていたことすら見つけられず、年末年始のバタバタを過ごして、気がつけばカレンダーに場所と時間を書いてあったことに気がついて、仕事終えてからの電車内で問い合わせをしつつダメ元で現地へと向かった。

確認は取れなかったようだったが、ご好意で入れていただけることになり、感謝しつつなんとか間に合ってたどり着いた。

まず告知に記された言葉遣いに惹かれていたので、てっきり「ギターとしじま」かと思ってましたがそこは違ったみたいでしたけれども、問い合わせのやり取りの言葉遣いや曲の間の語り口などもとても好ましく「余白を聴く」との言葉通り、風の音、街灯の揺らぎ、木々のざわめきすらも味方につけて日本人たる幸せを堪能したひとときだった。この日この時間この場所でしか味わえない幸福。

音が消えて行くところを見送る仕草までが音楽であると、その場所は命が去るところ、あるいは命がやって来るところでもあると反芻しながら帰途についた。

音が消えて行く瞬間の時空の充実を見守るように、そのように命を終えられたなら幸せだろうなぁと。在ることの充実が無いことの充実に導かれるのであろうと。

10年余り参加してきた吹奏楽団体U-ウインズで昨年迎えたみなとみらい大ホールでの15回目の演奏会の最後の曲の最後の音を吹き終えるその時に感じた充実感と名残惜しさと物事をおさめる感じを思い出し、思いを重ね合わせて、昨年後半からの怒涛の日々をかえりみる豊かな時間、時間と空間の中にあって永遠へと繋がる限りなく細やかで濃厚な時間をいただいたと感じた。

と、文字を綴ってからまた怒涛の日々が続いて、日々を省みる余裕も無く追われ追われて、気がつけば次の演奏会が後ひと月余りに迫り来たタイミングで続きを言葉にしている。

その間8ヶ月、寒さと暑さを経て歳を重ねて、より深く命を味わう為には余白が必要と思い知り、何を手放すべきか?を吟味しつつ自分自身のほんとうの願いを問うている。

楽しむ為にも味わう為にも何かを熟成せしめる為にも、少しばかりのゆとりを作ろうと試行錯誤している。

いつ果てるとも知れぬ酷暑と残暑に生き延びる事の精一杯を味わった夏を経て、実りの秋へと向かう気配を味わいながら、その後の彼らの活躍を見守りつつ、いただいた言葉にならぬ何かを私もまた表現してゆきたいということは、ここに言葉にしておく。

という言葉を記したまま公開しそびれて1年以上経ってしまっていた。

その間に彼らの活躍はとどまるところを知らず、紀尾井ホールのチケットが完売したとの知らせを先日見かけた。

知られるべきものは自ずと知られると改めて見守っている。

せっかく久しぶりにnoteを開いたので、こちらも公開しておこう。


https://youtu.be/xcWPUWw2fLc?si=5M2akaY3y0kCTC18



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?