1-2弁が立つからなめられる

塾長:薩摩人の間では「沈黙が倫理」とされていた。下野する西郷隆盛と大久保利通との最後の対面は、薩摩人の「沈黙」をよく表している名場面といえるだろうね。

 西郷はしばらくだまってすわっていた。こういう場合の沈黙に耐えるのは薩摩人の特徴であるが、その点において大久保のほうがむしろ深刻な耐久力があるといえる。大久保は背筋をのばしたまま黙っている。〔翔ぶが如く〕

『翔ぶが如く』の主人公候補だった村田新八は典型的な薩摩人で、〈軽忽な男ではなかった。無口で、動作に陰翳があり、物を問いかけてもすぐには返事をせず、しばらく考えてから話し、結論を急ぐことがなかった〉と描写されている。〔翔ぶが如く〕
 西南戦争の戦陣でも、フロックコートに身を包み、アコーディオンを奏でていたことで知られる村田新八は、言動もダンディそのものだったんだね。
 同じ九州でも、福沢諭吉の言動にみられる〈軽忽〉、つまり軽はずみなところは、彼の出身地である〈中津の風〉であるとされているし、佐賀は〈佐賀の議論だおれ〉とよばれるように、言葉数が多くて議論好きという地域性があった。
 典型的な佐賀人である大隈重信は「功利主義者」として、西郷からとても嫌われていて、「大隈に教育だけはまかせてはならぬ」「大隈と談判するときは証人を立ち会わせよ」「天性、誠意がなく嘘が多い」とまでいわれたくらいだった。〔翔ぶが如く〕
 だけど後年、大隈は早稲田大学を設立するなどして、不適格とされた教育の分野で大きな実績を残したことを思えば、若いころのある時期をもって、その人物の価値が決まるものではないようだね。
 さて、佐賀人のふたりめは、『歳月』の主人公・江藤新平。
 彼の頭脳と弁舌は、明治政府のなかでも抜きん出ていた。あの大久保利通ですら、江藤には恐怖していたくらいだからね。
 でも、江藤はおのれの弁舌を武器にしてやり過ぎた。人は往々にして、自分の得意分野で失敗するものだけれど、江藤も得意の弁舌で自滅してしまった。
 佐賀の乱で敗北して逃亡すると、あろうことか自分が整備した警察網に捕らわれて、昔の部下から、晒し首という無法な判決を下されてしまうのだから憐れなものだ。
 その点、江藤の盟友だった大木喬任は「おとな」だった。
 大木も若いころは多弁だったんだけれど、〈政府の枢軸の座につくと無口な男になり、容易に意見をいわず、自分を厚い政治配慮の被膜でつつんでしまった〉というように、寡黙な男に変身を遂げた。〔歳月〕
 江藤はそんな大木を軟弱者とか変節漢といって罵倒したことだろうし、大木のほうは、「江藤は、いつまでも書生気分が抜けないなあ」とあきれていただろうね(笑)。

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